えこひいき その4

しつこく「えこひいき」を話題にしています。えこひいき云々を語るのは、ひたすら自分自身が料理店で幸福な時間に浸れるかの問題であることは何度も言いました。えこひいきをされていてもいなくても、楽しい時間を提供してくれるのがいい料理店であることは間違いありません。と同時に、料理店を楽しむ能力というのも必要だと思うのです。一人前800円の定食屋さんにも、20000円のレストランにも店主の心配りがある店には常連が心地よい空間があるものです。ただ、店の入り口をくぐり、料理を注文し、食べる、それだけの中に店主と客とのやりとりがあるのです。このやりとりがさりげなく上手であることが楽しむ能力なのだと思います。


長年自分で料理店を営み、食べに出かけることも人並み上に好きですので、店主の側、客の側両方の心情が理解できる立場にいます。できることなら、料理店での両方の心情と、幸福な時間を得るためのノウハウを自分の子供たちに伝えたいと思います。というより、小さい頃から親の振る舞いを見ている子供たちは、自然に店でどうするべきかを学んでいるようです。食事の最中でも「ほら、サービスの人のこういう気遣い、凄いでしょ」とか「この料理のこういう調理方法は料理長の力が入っているところなんだよね」とか、「ワインを頼むときにはこういう選び方をするとソムリエさんの力を引き出せるんだよね」などなどなど、てんこ盛りの教育の場になってしまいます。


先日のナリサワさんでも、店を後にして通りの角を曲がるとき、「ほら、ここで振り返るんだよ、絶対まだお見送りしてくれているから」という私に「ああ、そうなのぉ」と振り返ると、シェフが寒い中ちゃんと見送ってくれていました。ここで、きっとこの振る舞いを憶えてくれるはずだと、「親ばか」は確信しているわけです。


すでに学校での勉強はお互いに諦めてしまっていますので、子供たちがどんな高級なレストランに行っても庶民的な焼き鳥屋さんへ行っても、物怖じせずにTPOにあわせた楽しみ方と振舞い方を身につけてくれれば私の親としての務めは成功したのではないかと、そこにだけ望みをつないでいるのです。こんな風に思ってしまうのは料理屋の性(さが)なのでしょうか?