えこひいき

昨日私が書いた「レ・クレアシオン・ド・ナリサワ」の話を聞けば、多くの方が予算と時間が許せば行ってみたいと思うでしょう。


が、当然のこととして伺ったどなたもが私と同じ印象を受けることはないはずです。私が書いたのは、最近よくある素人ネットグルメ評論ではありません。その手の評論家がレストランの印象を書けば、一皿一皿の香りや味付について「良いの悪いの」「レストラン○○に比べてどうだ」「この皿は絶品だがこちらの皿は今一つだ」その他でも「サービスの動きがどうの」「トイレのアメニティがどうの」「見送りをしたかどうか」「ワインの値付けがいい、悪い」「ソムリエの資質がどうの」などなどなどなど、私がしたただただ絶賛とは全く違うはず、それが趣味の方はそれでいいのでしょう。


凄い方になると、「○○肉の塩の当て方は切ってからであるか、ローストする前であるか」に言及して「この肉の場合は・・・・」と成澤さんにご高説を述べる方のサイトまでみたことがあります。私たち職人が、敬意を表するべき同じ職人に対して技術的な意見をすることは100%ありません。尊敬するべき方がその日にその素材に対してどういう取り組みをしたかは、自身がどう感じるかは別として同じく敬意を表するべきことだと思うからです。


それはさておき、昨日私が書いたのは、「私たちがどう成澤さんを楽しんだか」のお話です。何度も語っているように志のある方の料理を食べに行くのは、何より楽しむためです。批評するためであったことは一度もありません。高いお金を払うのは幸福なひと時を得るためです。あえて言えば私たちだけが楽しめればいいのです。


どうすれば楽しめるのか?


特別なお客になればよいのです。その日、レストランにいるお客様の中で一番大切にされ、えこひいきをされるお客になればよいのです。そのための努力を怠らないことです。


そんなえこひいきはすべてのお客様が見渡せるホールの中でズルイとか、あってはならないというのは建前です。実際の話大なり小なりの違いはあっても、飲食店ではえこひいきは必ずあります。もちろん金銭的な得をえる事が目的ではなくて精神的な満足を得るためです。


その日成澤さんのレストランはもちろん満席で、お得意様らしきお客様は何組もいましたが、多分私たちは一番とは言わないまでもえこひいきをされていたお客であったと思います。もしくは、えこひいきをされていると自分で思い込むほど図々しい自信を持つ破廉恥さは持っていました。


青山に移ってから一年も伺えず、これまで訪問したのも回数だけで言えばお得意の範疇では全くない私たちなのですが、ドアを開けるとマダムが待っていて、早速昔話でひと盛り上がりし、席についたときには私たちの席だけはシェフがご挨拶に見えてくださり、ヴィンテージ・シャンパーニュのプレゼントがあって・・・・食中はもちろんサービスの方々と料理やワインの話に花が咲き、食後も私たちの席にはシェフがしばらくとどまって「今日は緊張してやらせてもらいました」(話半分としても嬉しい)と話し込み、お見送りもシェフ自ら。ほかのお客がどのようであったかは定かではありませんが、私たちが特別な気分で満足を得たことは間違いありません。


こういうサービスを受けて、「塩味が今一つ」とか「ワインのサービスが滞った」などということがたとえあったとしても取るに足らないこと、批判の対象になることなどありえません。


そういうサービスを受けるための努力は人一倍しています。というか、もしかしたらそういうことが苦痛でなく身についているのかもしれません。一見はともかく、裏を返したときにはちゃんと馴染みに近いところにいる自信があります。以前に読んだ「シェフ、板長を斬る」などという本にはえこひいきされない客の典型を見ることが出来ます。二回目三回目の訪問でも馴染になれずに批判を繰り返す方と一緒に食事をするのと、えこひいきをされるのではどちらがいいでしょう。言うまでもないことです。尊敬する料理人には、えこひいきをされるお客になって、自分自身が幸福になれることだけを目的にレストランへ伺いたいと思うのです。こういう人間のいうレストラン絶賛は参考にはならないかもしれませんね。