真似

先日豊橋のイタリアン「フラスカティ」さんでカルパッチョをいただき、昨日今日とTVで二つのカルパッチョを見ました。


一軒は某イタリアンの鯛のカルパッチョ、もう一軒は某創作和風料理店の蛸のカルパッチョ


どちらも海の素材に野菜とオリーブオイル、塩がベースで、基本的にはカルパッチョの要素は満たしているようなのですが、どうみてもフラスカティさんで堪能したような正しいカルパッチョではありません。何が違うのでしょう。


料理に「正しいも正しくないもない」とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんが、土地で受け継がれ洗礼された料理と、その料理そのものを食べたことなく見た目を真似ただけの料理の違いは明らかにあります。


「あっ、これがホントのカルパッチョかぁ」と気づいたとき、いかに日本に溢れているカルパッチョと創作料理のカルパッチョ風が底の浅い真似モノであることがわかります。


私たちの世代はスパゲッティといえば喫茶店ナポリタンとミートソースが当たり前の頃。エクストラ・バージンオイルもまがい物しかない時代でしたから、初めてちゃんとしたアーリオ・オーリオやポモドーロを食べたときの驚きは衝撃的でした。


こんな単純に美味しいものがあるのに、和風なんとかスパゲッティやタラコなんとかスパゲッティなんぞ食べる必要なないぞ・・・・と思ったものです。研ぎ澄まされたように美味しい蕎麦を知れば、この蕎麦で創作蕎麦料理なんぞ必要と思わないのと同じです。


少なくとも私達作る側の人間は、正しく美味しいものの原型はちゃんと知った上で創作をしたほうがよいと思うのです。かの魯山人の陶作が素晴らしいのは、オリジナルの古典的名作を自分のまわりに置き、触れて、写すことを基本にしているからと聞きます。オリジナルを超えることは難しいとしても、上滑りの真似っこは恥ずかしいと思う見識だけは持っていたいものです。