主人の在不在

今も語り継がれる「星ヶ丘茶寮」は昭和初期の全盛期、魯山人の美意識で貫かれていたことは有名です。


その美意識を理解できる常連の中には、フルーツに差し込まれたナイフの姿を見て、魯山人本人が料理場にいるかどうかを言い当てたといいます。芥川龍之介だったかは、食べようとする相客の手を制して「ちょっと待て、このまま少し見ていよう」と言ったとか?


魯山人のような強烈な個性ならさもありなんと、納得してしまうのですが、ホテルや年中無休のなじみのレストランに出かけたとき、力のある調理長ですと、今日調理場にいらっしゃるかどうかが一皿でわかるようなときがあります。それだけ調理長の力がぬきんでているということでもあります。


たとえ調理長自らが手を下さなくても、皿から感じ取られる緊張感というのがあるもので、優れた料理人というのはそういうところでも違います。


そこそこ大きな店になれば、すべての皿を調理長が調理するわけではなくて、指示とレシピが細かく与えられて、それなりに訓練された若い方々が調理を担当するのですが、与えきれない何かが必ずあって、そこを調理長の存在がカバーして素晴らしい料理になるのです。


それが「目の届く範囲」なのです。


なんといっても料理は人の手がかかって成り立つものです。優れた調理長がいてもいなくても高いレベルを維持できるように訓練されていることが正しいのか、さらにその上をいく感性が発揮されるような調理長が素晴らしいのか。どちらにしても私個人は優れた方の手が少しでもかかった料理を食べてみたいと思うのです。