”美味しい”のために
「美味しかった」と言っていただくためだけにこの仕事を続けているようなところがあります。
企業体としての料理屋であれば、利潤の追求が第一目的であって、そのためには時として「美味しい」に目をつぶってしまうことがありますが、職人としての私は「美味しい」のためには時として、利潤に目をつぶってしまうことがあります。
自分がちょっと余分に働けばすむことであれば、寝る間がある程度に働けばよいことだし、この素材のほうが絶対美味しいと思えば、ほかで何とか原価を調整すればいいやと考えてしまうのです。
昨日ランチタイムサービスにお越しいただいた若い女性がいらっしゃいました。
メニューをご覧になって「カツ丼をください」と。女性一人でカツ丼の注文は少数派ではあります。
大体私ン処のような店のランチに「カツ丼」をメニュー載せていること自体どうかと思うというお客様もいらっしいます。蕎麦屋や定食屋じゃぁないんだから・・・・。とはいえ、好きな丼物をお気軽に召し上がっていただこうと始めたランチに、定番のカツ丼をどこよりも美味しく作ってみたいという偏屈な意地があって、しつこくカツ丼をやり続けているのです。
その若い女性がお帰りのときに「今まで食べたカツ丼の中で一番美味しかったです」とおっしゃってくださいました。
涙が出そうになります。
もっと高級な素材を使った料理を作ることが日常的で、「今日の鱧はよかったねぇ」とか「賀茂茄子は絶品だ」と過分なお褒めのお言葉をいただくこともあるのですが、意地になって作っている、普通に見れば変哲もないカツ丼を褒めていただくことが一番嬉しかったりします。
きっとおっしゃった女性も「美味しかったです」よりも「これまで食べた中で・・・・」と発するほうがずっと勇気がいったと思うのです。その勇気が職人を奮い立たせてくれます。