恐怖体験
「えーーー、なぁぁんだ、親方も齋藤塾なのぉ」
お見えいただいた、創業以来三代に渡る(お客様は四代)お付き合いのお得意様がおっしゃいました。
中学、高校生の時、齋藤塾に通ったことがあるというだけで一晩語り合えるというほどの強烈な英語塾がその昔この地にありました。
お得意様のところは80歳を超えるお父様も、50代のご子息様たちと奥様も齋藤塾の出身、かく言う私も同じく出身ということで話は盛り上がります。
その塾は中学生と高校生を対象とした英語と数学の私塾でありました。教室には最初は80名ほどのいがくり頭の中学生が並び、高校生にいたる頃には1/4くらいに人数は減ります。
入塾のためには親の面接と、通信簿による選別がありました。当然のように入ってくる子供たちはエリートばかり、間違って門を叩いてしまった私など「料理も同じだろうが、悪い素材からいい料理はできないからな」と言われたことを後に母が語ったくらいですから、回りとの格差は歴然としていました。当時、塾生の95%はこの地一番の高校に進学し、その後の大学といえば早大慶応当たり前、東大と京大にいける人間くらいできでやっと人扱いしてもらえるくらいの感じ・・・・といえばその程度を理解していただけると思います。
入学と同時に教科書が4冊、CODをはじめ辞書が3冊、グラマーの分厚い参考書、学校に通うための教書を全部入れた鞄より、英語塾のための鞄のほうが重いという素材を使います。
辞書はわかるわからないに関わらず、普通の辞書の三倍はあるCOD英英辞典を使わされ、わかるわからないに関わらず教えられた単語、フレーズには赤線が引かれます。英和辞典も含め、一年を過ぎた頃にはすべての辞書のすべてのページに赤線が引かれているのです、わかるわからないに関わらず。
教科書にいたっては中学一年生の一学期には学校の一年分を終え、その年の最後には二年生から三年生の英語を習っているくらいのスピードです、しかも4冊。当然わかるわからないに関わらず・・・・です。
素材の悪い私がそのスピードと情報量についていけるわけがありません。
わからない人間には恐怖が待っています。
ヘンテコな答えしたできの悪い生徒は怒られ、ののしられ、罵倒されます。場合によっては教室の前に出されて、特大で杓文字で二の腕をパンパンパンと叩かれるのです。さらに、大勢の生徒の前でできなかった箇所を大声で繰り返しながら教室を回らされたり、制服にハクボクで大きく「T」(低能のT)書かれてたたされます。
映画などで見る海兵隊の鬼軍曹を見ても、私など中学から怖さを感じないほどスパルタです。
今でしたら勉強ができないという理由でおこなわれる体罰や罵倒などPTAが黙っていないでしょうが、これは私塾、塾生も親も承知の上で鍛えてください・・・・と入るわけですから問題にもなりません。
齋藤塾出身者が共同体意識を持つのは、ほとんどの場合このスパルタ体験の話題によるためであったりします。
が、
しかし、
訓練、勉強の早道は恐怖体験、スパルタに限る・・・・ともいえます。
全く理解できない授業の内容も、CODに書かれている単語も、できなければ怒られる叩かれるという緊張感と、溢れる情報量、繰り返されるフレーズによって、自分では気づかないうちに身につくものがあるというのも事実です。
塾ではまったくわからない英語が、学校では幼稚園の授業のように簡単で、一通りの単語さえ覚えれば学校の教科書などとるに足らないほど楽チンなシロモンになっているのです。それは大学受験までまで続き、受験でも英語の勉強は単語と慣用句を覚えるだけ充分になっていたというのはこの塾に通ったおかげです。
江戸時代の勉強が意味もわからず繰り返される「素読」であったように、わからなくも繰り返すことには何かの意味があるのかもしれません。
自分の子供には絶対にこういう勉強はさせたくないと思いつつも、たまに齋藤塾出身者の連帯感を感じると、思い出としては強烈であったなぁと半ば懐かしくも思えてしまうのです。
しかしながら今でも私の英語はヨタヨタで、齋藤先生がよみがえったら「恐怖の杓文字」が待っているでしょうねぇ。