ドラマーの時代 昨日の続き


昨日皆さんに馴染みのないジャズ話なんぞを書いて思いっきり引かれたところで、どっちみち引きついで、日曜日はアクセス数もすくないということで昨日の続き。


ジャズ・ドラマー エルヴィン・ジョーンズのお話を書いていて、私がジャズを聴き始める前、1950年代後半から1960年代前半というのは、凄いドラマーがジャズを支えていた時代でもあったのだと気づいたのでした(遅すぎる)


フィリー・ジョージョーンズや、マックス・ローチケニー・クラークモダンジャズ・ドラムの基礎を作り上げた1950年代を経て、1960年代、マイルス・デイヴィス・グループを離れたジョン・コルトレーンのもとにはエルヴィン・ジョーンズがいて、昨日お話したようなジャズの歴史を塗り替えるような歴史的なグループが形作られました。


一方、マイルス・デイヴィスのもとにはまだティーン・エイジャーだったアンソニー・ウィリアムスが加入し、黄金のアメリカン・リズムセクションが形成されました。1950年代のモダンジャズ・ドラムを聴いていた人にとっては、アンソニーのドラミングはそのレガート(シンバルでリズムを刻むチーンチッキ・チーンチッキってやつ)一つとっても驚愕するようなスピード感、ドライブ感、ビート感があって、胸を熱くしました。創造力に満ちた偉大なマイルス・デイヴィスのリズム隊は若きアンソニー・ウィリアムスが主導権を握っていたといっても過言ではありません。


さらに1950年代にはすでに名声を確立していたアートブレーキー(同じくジャズドラマー)のグループ、ジャズ・メッセンジャーズにはウェイン・ショーターリー・モーガンというその次の時代を担うべき若い天才たちが加わってジャズ・メッセンジャーズのいくつかの黄金期の中でも最高峰極める時代でもあったのです。


1960年代初頭から半ばにかけてというのは、ドラマーがトップグループをぐいぐい引っ張る輝かしい時代であったのでした。以降もしかするとこれ以上のドラマーがひしめき競い合うような時代はなかったような気がします。


それはジャズという音楽そのものの一つの黄金期でもありました。私達はその残りかすだけでもずっとジャズを好きでいられるのですから、そりゃぁたいした時代であったのですね。