エルヴィン・ジョーンズ
20世紀が生んだ最も偉大なジャズドラマーの一人、エルヴィン・ジョーンズが亡くなりました。
歴史に残る天才たちには神様が舞い降りた一瞬があるものです。
マラドーナのイングランド戦での6人抜きしかり、タイガー・ウッズのイーグルパットしかり、先日のランディー・ジョンソンの完全試合しかり。
音楽でも同様です。
エルヴィン・ジョーンズが1957年、トミー・フラナガン、ウィルバー・ウェエアーと録音した「オーヴァーシーズ」というピアノトリオのレコードはまさに神が舞い降りた瞬間でした。
そこでのエルヴィンのブラッシュ・ワークは神がかり的で、普通に聴けばリズムが外れているのではないかと思うほどの強力なタメがあって圧倒されるばかりです。その後も何回も同じトミー・フラナガンとトリオ・レコーディングをしていても、「オーバーシーズ」のように歴史に残るアルバムにはなっていません。1957年の神の時は再来しなかったのです。
と、講釈を述べていますが、恥ずかしながら「オーバーシーズ」の凄さを理解できるのに私は何年もかかっていて、最初に聞いたときには「この普通のトリオ・アルバムのどこが歴史的なんだろう?」と訳がわかりませんでした。中学生のときです。
同じ中学生にも、その後1960年代前半ののエルヴィン、ジョン・コルトレーンとの数々の演奏の迫力はワンコーラス聴いただけであっという間に惹きつけられました。
当然です。当時ジョン・コルトレーン グループの音楽は世界中のジャズ・ファンが熱い思いで見つめる最先端のジャズで、若者の精神的な支えにもなるほどのものだったのです。
「オーバーシーズ」でエルヴィンが見せた、感性を内に爆発させるようにためにためて発するドラミングではなくて、外に思いっきり爆発させ、コルトレーンとマッコイ・タイナーを鼓舞するようにうねるドラミングです。
コルトレーンの死後1970年代にはいっても、ジャズを目指す多くのアマチュア・ドラマーがエルヴィンのマネをし、エルヴィンみたいに叩くことがかっこいいことでした。それほどのアイドルであったのです。
その当時フルバンドをやっていた私の後輩ドラマーは、いくら練習しても正確なリズムが刻めずに、バカだアホだリズム音痴だと言われ続けていたのに、エルヴィンのマネをちょっと練習しただけで(フルバンドには使えないドラミングですが)「エッ!」と思わせてしまうほどのパターンを身につけてしまったのでした。つまりリズムが少々正確でなくても、素人騙すような迫力を出すのは簡単にできてしまうような要素をもったドラミングなのです。
とはいっても、本当のエルヴィンは誰がどうやってマネをしても到達できないONE&ONLYの音楽なのです。モーツアルトには以前も以後もなく後継はだれもいないのと同様に、エルヴィン・ジョーンズには以前も以後もありません。
残念なことにエルヴィン・ジョーンズの数々の歴史的な音楽をリアルタイムで聴くには、私は生まれるのが五年遅すぎました。1960年代半ば以降にジャズを聴き始めた私にはすべては過去の録音で、まさにそのときでなかったのが悔やんでも悔やみきれません。
1960年前半のエルヴィン・ジョーンズ、同じ頃マイルス・デイビス・グループには若きアンソニー・ウィリアムスがいて、アート・ブレーキーはウェイン・ソーターとリー・モーガンを率いて爆発的なアート・メッセンジャーズを構築していて、今考えても震えるようなドラマーの時代であったのです。
興味のない方(ほとんどかもれないけど)には訳のわからない記号の羅列のような日記でした(ペコリ)書いている私は熱くなってしまうのですが。
サド・ジョーンズもエルヴィン・ジョーンズもいなくなってしまって、お兄さんのハンク・ジョーンだけが残ってしまいました。ハンクには相当長生きしていただきたい。