当たり前に美味しいこと


先日の冬のような底冷えのする休日、家族が急に「おでんでも食べたい」というので、昔からの知り合いのある店に伺いました。


カウンターと小座敷、家族だけで営むこじんまりした店で、おでん、焼き鳥、刺身や焼き魚などなどの単品をそろえる居酒屋以上料亭未満、サラリーマンに人気お店です。


メニューに並んだ料理は奇をてらった珍しい料理は何もないのですが、かといって養殖の鯛や冷凍のアマダイ、年間通してある枝豆(冷凍)などといったものは何もなくて、普通の季節のものが当たり前の料理方法で提供されています。おばあチャマの時代からそうやって真っ当な仕事をされてきた店ですので、すべての料理が真っ当に美味しい。


こういう店に入ると、「隠れ家風○○」とか「創作○○」とか「新日本料理○○」などという、目新しさはあっても使う素材は単価の安さなり、各国料理のいいとこどりをしながら、オリジナルには及ばない様々な流行料理がばかげて見えます。


当たり前のものを当たり前に美味しく造るというのは、今の時代それなりの志と培った技術がなければできなくなっています。


若い世代がそのことに気づくのには時間がかかるのかもしれません。もしかしたら廃れてしまうのでしょうか、当たり前に美味しい日本料理。