ゲットのお手伝い


久しぶりにお見えいただいたお客様は、聞くと、私ン処の食事の後プロポーズに成功して目出度くご結婚なさったそうです。今はご夫婦。


いやーー、なによりなにより。


プロポーズのためのお手伝いができたような気がして嬉しいことこの上ありません。


10年後に奥様が「私、あの店のあとだまされちゃったのよねぇ」・・・・とならないようにお幸せに。多くのご夫婦が冗談でそうおっしゃいますが。。。。


先週の日曜日「大改造!!劇的ビフォーアフター」に出演していたのは知り合いのこの方


素人から見るといろいろ言いたくなってしまうこの番組も、ジュンペイさんとっては大事な依頼主の仕事のひとつなわけで、今回ばかりはTVのショー的な要素を差っぴいて純粋に応援しつつ拝見しました。


今回の依頼主「キッチン泉」のご主人は、その方とは知らずに仕入れなどでお見かけしていた方でした。このお宅でも長年営む料理屋のご多分に漏れず、生活空間よりは店が優先し、店の台所と自宅キッチンは区別がなく、たった6畳のスペースに居間と食卓、生活感がすべてそこに集約してしまうような狭さにキュウキュウとしていました。


20年も改築せずに仕事に追われている料理屋さんは大体そんなモンです。よくわかります。


裸一貫で店を築き上げてきたご夫婦はそうやって地道に仕事をし、子供を育てるのです。今の感覚からすると狭くて苦しく厳しい時代のように見えますが、一国一城の主として必死で働くご夫婦にとっては昔はそれが当たり前で充実して生きてきたのだと思います。


今でこそ私なども比較的広めの居間、自宅のキッチン、それなりのバス、それなりの家具に囲まれていますが、子供頃は料理屋に自宅のキッチンがあるなど考えられませんでした。家族は一部屋か二部屋くらいに固まり、卓袱台をおけば食卓、布団を引けばベットルームでした。料理屋に家族のくつろぎの空間など贅沢の極みでした。家族の場所が取れるくらいならお客様の座敷をつくりるのが当たり前でした。商売なのですから。


住み込みの若い衆(スタッフなどとは呼びません)は窓もない部屋の二段ベットで生活していました。もっと昔はお客様がお帰りになった後の座敷に布団を引いて寝ていたもので、お客様が帰らなければ休めなかったのです。昭和20〜30年代はそれが普通だったのです。日本中が貧しかった時代はだれもがそうでした。


そういう時代を経てきて、その時代はそれが当たり前だと思っていた私など、当時を苦しかったなどとは思ってもいません。どの時代も住めば都、上をみればきりがないとわかっていますから、多分私一人なら寝られる空間と本、音楽さえあればいつでもそれなりに満足できそうです。


今では、連れ合いが「料理屋って生活と仕事が一緒になってしまっていて体が休まらない。週末のカントリーハウスが欲しい」などと贅沢をいっていますが、幼いことから料理屋で育ってきた私など生活と仕事がいっしょなのが普通で気になりません。


人は贅沢が当たり前になっていく生き物であることは「衣」「食」「住」どの部分でも一緒です。


私たち年長者は、昔の生活を苦痛だとか貧乏だとかの苦労話で語らずに、率直に少し前の日本人の生活として淡々と伝えなくてはならないのでしょうね。