木星


平原綾香の「ジュピター」が流行っているらしくて、私も何度か耳にしました。


学生時代にブラスバンドを経験した方なら、これを聞けば即ホルストの「木星」の一部であることが理解できて、「うまいことやったな」感を強く感じるのではないでしょうか。


クラシックファンには「ジュピター」っていうとモーツアルトを連想し、「木星」っていうとホルストを連想するわけで、この曲に「ジュピター」と名付けたことも微妙な選択ではあります。


レビューなどを見ると「涙が止まらない」「ガツンとやられた」「商業主義でない本物」などお門違いのまんまとはまった若者のお涙感動が書き連ねられていて笑ってしまいます。


こういうのもカバーっていうんでしょうか?


これで受けるんなら、クラシックには素人をころっと騙す「癒し系」メロディーはいくらでもあります。要はいかに見つけて、どんな風に脚色するかって手練手管になるわけで、考えてみたらクラシックだけでなくジャズにだって「お手軽感動の素」はたくさんあります。


コルトレーンの「「バラード」なんかを今風にアレンジして歌詞をつけて完全カバー、受けるかどうかはマーケッティングしだい・・・・ってことになるのかも?


もともとクラシックには当たり前のように「カバー」の考え方があるわけで、古今の名曲をアレンジしたり、地元に伝わる民謡を主題にしたりすることは普通におこなわれてきました。


ムソルグスキーの「展覧会の絵」や自作の「亡き王女のためのパバーヌ」をカバーしたラベルみたいに、魔法のようなカバーを見せつけてくれると、ひねた板前もひれ伏してしまうのですが、お手軽なヤツはどうもにんまり顔のプロデューサーの顔だけが浮かんでしまいます。