ボンボン留学生


1980年、大阪での修行後アメリカをフラフラ旅行していたことがあったことは以前にも書いたことがあります。


英語は学校で習っただけ、修行中、休憩時間に欠かさずに聞いていたNHKラジオの英和会話教室を除けば会話の勉強など皆無だった私は、アメリカへ渡った直後カリフォルニアの大学に併設された語学学校に入学しました。たった一ヶ月ですが気は持ちようです。


当時は留学のマニュアルなどどこにもなくて、手紙で入学の手続きを問い合わせ、アメリカでのわずかなツテを使って保証人がいることを証明する手紙や、滞在中の資金があることの証明書、往復のチケットがある証明などを用意してやアメリカ大使館へF1ビザを直接取りに行くような時代でした。


寮を持つ語学学校には各国の若者が生活をしていて、住んでいるだけで少々の日常会話が身につくような気がしたのですが、自腹、短期間で英語をなんとか身に付けようとしていた貧乏学生の日本人グループの別に、見るからに小奇麗でお金持ちのお坊ちゃまお嬢ちゃまグループがいました。


彼らは授業以外ではほとんど他国人と接しようとせず、日本人だけでグループを作っていました。授業が終わればテニス、プール、買ってもらったであろう車でサンフランシスコへお遊びの毎日で、日本人だけつるむならまだしも、他国人を差別するようなことを平気でしていました。当然オツムの出来はあまりよさそうではありません。


同じクラスの私と同じような貧乏日本人学生に「あれじゃ、英語を習いに来ている意味ないですよねぇ」と問うと、「この学校に半年いるけど、不思議と絶えずああいうタイプの日本人が入れ替わり立ち代り入ってきて同じようなグループを作るんだよねぇ」と言います。


日本の大学に入れなかった金持ちの息子娘が「留学」という箔をつけるためにアメリカへやってきているのでしょうね。当時は留学が格好よかった時代だったのです。語学学校に半年から一年、トーフルで適当な大学へ入り、たいした目的もなくカリフォルニアライフを満喫するてぇわけです。


学歴詐称のどこかの国会議員も私と同世代、あのときのボンボン留学生と同じ匂いがするような気がしたのです。「ああ、いたいたああいうヤツ」同時代に同じ場所で感じた人間にはすぐわかります。


貧乏人のひがみ根性だけかもしれませんが。