同じ釜の飯


ずっと以前には毎日いくつもあった昼食用のお弁当の仕出しの注文は少なくなりました。


不況の影響もあるのですが、お役所などではボランティアの会議に昼食をはさむことがなくなったせいだそうです。


「市民の大切な税金をメシ代に使うとは何事か」ということなのです。これらの経費がオ○ブ○○ンなどに知れたらえらいことだ・・・・なのだそうです。


私も経験があるのですが、例えば自治会の会議とか、○○協議会の会議とか役所が地域住民のために行う会議にはボランティアで参加します。硬い話題の会議の時に「じゃ、会議の前にご一緒にご飯でも」・・・・とお弁当などを食べるわけです。するといきなり会議をするよりも初めて会う方々とも和んだ世間話ができて、人と人とのこなれ方が全然違ってきます。


「同じ釜の飯」とまではいえないでしょうが、いわゆるお酒を飲む「接待」までいかなくても、簡単なお昼ご飯をいっしょに食べることが人間関係の潤滑油になるのです。


お金ももらわず忙しい時間をやり繰りしてボランティアで会議に出てくる人たちに「ご苦労様です。お忙しい中お手間をとらせます。まっ、ご飯くらい」・・・・という感覚は公では許されないのでしょうね。普通で考えれば当たり前かもしれません。。。。


でも、私などがもっている感覚からみると、大事なお金を食べることに使うなどけしからん・・・・というのはとても世知辛い。


お客様から聞いたお話。


「最近の若い連中はねぇ、慰安旅行はもちろん、会社の忘年会も嫌がるんだよねぇ。下手をすると”○○さんの退職のおつかれ会、出席するよね”というと、”○○さんにはお世話になってませんから欠席します”って・・・・同じ課でだよぉぉ。自分が好きな集まりだけしか出ないんだねぇ」とおっしゃいます。


まっ、余り気乗りのしない会合、飲み会というのはあるもんですが、「付き合いの悪いやつ」といわれたくないためだけでも出てみると、飲む席で人間関係は養われるというように、不思議とその後がうまくいくというケースもあります。私などもただの飲み会は余り好きではありませんので気持ちはよくわかるのですが、「いや」とはいえないのが当たり前の世代です。ところが今の若い方はには「義理」などという言葉存在しないのですね。


これはこれで世知辛い。