アニキ


BSで長淵剛のコンサートライブを放映していました。


私にとっては最も縁遠いかもしれない歌い手です。


いや、歌い手と呼んでいいのでしょうか。怖いもの見たさで眺めていると、それは歌い手というよりも長渕という「アニキ」の生き方に会いに行く舎弟分たちの大会合のような様相を呈しています。


女性は極めて少なく、長渕よりも年上の姿もほとんど見えません。


「俺たちのことを理解しない大人たちばかりの中で、アニキの言葉だけが俺たちの希望だ、指針だ」と共感する若者の大集会。多分そうだろうと想像はしていても映像で見ると唖然とします。


私など、若い頃からから音楽にメッセージを込めることにあまり興味を持たないほうですし、音楽に熱狂するのに集団的であることのほうにこそ反発を感じてしまうほうですので、この手のコンサートライブはつい冷ややかな目で見てしまします。


昔から若者が大人たちに反発しメッセージをカリスマに求めることは世の中の常ですが、それが10年20年と続いているというのは稀有のことかもしれません。


もしかすると長渕が「生き方」として表現しているものは、ある意味音楽業界でのマーケッティングの一環として作られたものかもしれない、でなければこれだけ長い間商業ベースでも続くはずがない・・・・と思ったりするのですが、実のところどうなんでしょう?


自分で作詞したはずのメッセージをモニター画面で下目にいつも見つつ、叫ぶ長渕の姿はやっぱり熱狂する聴衆にとってはミュージシャン、アーティストというより「アニキ」なのでしょうね。


少なくとも音楽を聴いているいう気はしない別世界のパフォーマンスです。きっとこれからも全く接点のない世界なのでしょう。


彼らにとっては私などの世界と世代は正に「理解してくれない大人たち」なんでしょうねぇ。


若い頃反発した若者が大人になって変わってしまった、というよりも若い頃から資質がまるで違うところで生活をしてきた別人種のような気がします。いいとか悪いとか、好きとか嫌いとかとはではない別世界のお話でした。