批判


ネットで公に言葉を発している方は身にしみているでしょうが、批判mailというのは簡単にやってきます。


尊敬してる超人気サイトの日記にイラク関係のお話や、今回の毎日新聞記者の爆発物事件のお話が書かれたとき、私などから見れば、「なるほど、そうとも考えられるな」くらいの意見にも、バシバシ批判mailが来るらしいのです。想像するに、相手のスタンスを理解しない身勝手なものも含まれていそうです。


批判mailにも様々な種類があるのですが、自分の素性も明らかにせずお気楽に送る方々というのは、TV局に抗議の電話をかけるよりもさらにお気楽なのかもしれないな、と思うことがあります。掲示板の匿名批判書き込みにいたっては問題外です。


ネット以前に文章でかかれたものに、同じ文章で批判を書くにはかなりの勇気が必要でした。それなりの理論武装と論理の展開ができなければ批判など書けませんでした。書いた物が残るという実感も確かなものでした。それが公になるのであればなおさらでした。


ネット上で言葉が残るという実感のない方がたくさんいます。掲示板にいたっては、自分の言葉が公になっていることさえ実感なさっていない方も間違いなくいます。匿名で素性がわからないのをいいことに自分の言葉に責任を持たない行為は破廉恥です。


かく言う私も、芸能人やメディア批判ならともかく、特定の店に批判的であったり、数回とは言えどもお客様に批判的であることがあります。ただし、自分のサイトでの批判は個人的なものというだけでなく、店を背負っているということを忘れていません。


批判がただの自己主張や怒りに任せたものというだけなら店を背負う価値などありません。発している言葉は自分を振り返るためのものであったり、逆に自分の店のあり方を考えるためであることも多いのです。


批判的な内容の文章を書いたときには、何度も読み返すことはもちろん、一晩おいて考え直すようにします。するとトーンは自ずと柔らかくなったり、すべて書き直したり冷静になれることがほとんどです。そうやって書いたものは、一年後に読んでみてもなんとか恥ずかしくなく、「このくらいでやっぱりよかったんだ」と納得したりします。


ネット上では批判は十分の一に、喜びや賛辞は三倍に表現するくらいが私的には丁度よいというのが実感です。