鏡の前


どこかの服飾評論家が、「選んだ服を着たら一度鏡の前に立ってみなさい」と言っていたのを覚えています。


男が鏡の前に立つのは髭を剃るときくらいと思っていたのですが、そういうもんか、と、特にお出かけ用でなく、白衣でも鏡の前に立つと気づくものです。


ちょっとした白衣のしみ、ネクタイの曲がり具合、斜めになった帽子、だらしなく結んでしまった前掛け。


私服でも、自分で上から眺めた服の組み合わせは、いざ鏡の前に立つと案外がっかりしてしてしまって選びなおすことがよくあります。


鏡の前に立って、人の視線になったとき初めて気がつくことはたくさんあるのです。


料理を作ることが仕事の板前は見栄えはどうでもいいといえばその通りなのですが、人前に出る以上お客様に料理以外で不快な思いをさせてしまうことは絶対に避けなければいけません。


元が元ですから、私が見栄えでお客様をうっとりさせるなど、たちの悪い笑い話になってしまいますが、汚れた白衣や、穴の開いた靴下、伸びた無精ひげで不快感を与えては、せっかく料理で満足していただいても意味がありません。


ところが、ちょっと気を抜いたり、忙しさにバタバタしていると見苦しいところをお見せすることがよくあるのです、恥ずかしながら。


カウンター席で、お客様の目線がどうも胸元あたりに・・・・と思うと、はねた味噌がくっついていたり、お酌をしようと徳利を持つと、指先のささくれに貼っておいた絆創膏をとり忘れていたり。


何しろ忙しく汗水たらしている労働者です。白衣の汚れは一生懸命仕事した証・・・・と思っていただければいいのですが、それは料理人の甘えというモンです。


「料理店のサービスマンのシャツの白さにはサービス料を払うつもりがある」というある方のエッセイの言葉はシャツだけでなく、料理店の人と物のすべてに言えます。


難しいけど。