調和の中の自由


音楽の中でも特にジャズの場合は、アドリブ=即興演奏が大きな要素となります。


演奏者は初めて出会ったメンバーでも「ブルースをやろう」と言って、誰か一人がテーマのきっかけさえ作れば、決め事や譜面がなくても、演奏は限りなく長く続けることができます。


譜面がきっちりできていないと演奏不可能に見えるフルバンド演奏でも、例えば、サド・ジョーンズーメル・ルイス オーケストラでは、ある曲のベースの譜面は「○○という曲と同じコード進行」というメモだけだ譜面台に置いてあったという逸話があるほど、いい加減と言えばいい加減、自由と言えば限りなく規制のない自由な演奏が可能なのです。


ところが、昨日WOWWOWで聞いたパット・メセニー 昨年の日本公演の演奏は全く異なりました。


パットのライブは限りなくアルバムに近い完璧な音創りをステージですることでも有名です。


たった6人で演奏しているとは信じられないほど、複雑で厚い音がステージで再現されます。CDで聴いているときには、きっと多重録音やシンセサイザーを多用しているに違いないと思っていた音が、実にシンプルな生音(なまおと)だったりするのです。その代わり6人はあらゆるところでフル稼働しています。そしてすべての音は「こうでなくてはならない」としっかりと譜面上で練り上げられたものです。


アルバムを一枚創り、ワールドツアーをするためにどれほどスタジオに籠もり、何回リハーサルを繰り返したのだろうくらくらするほど緻密な音楽なのです。


緻密であればあるほど即興演奏の入り込む余地は、アドリブとしてのスペースとして設けられた場所だけになりそうなのですが、リーチャード・ボナを含む今回のパットのメンバーは精密緻密な譜面の中で自由です。曲の構想の調和の中でしなやかに自由です。


演奏者の技術や感性だけを前面に押し出すジャズのライブが多い中で、楽曲として完成された上で、アルバムからさらに飛躍したライブができるのは驚きです。


これほどの音楽は、これまでウェザー・リポートやいくつかのチック・コリアのグループくらいでしか聴けませんでした。パット・メセニーグループはこれまで以上に劇的に進化していることをライブでさらに実感しました。


この日本ツアーは店を休んででも行くべきであった・・・・と後悔しています。今のパット・メセニー・グループは間違いなく歴史の記憶にとどめておくべきユニットです。