この国と国民の安全と平和


日本人の平和ボケを唱えることは今に始まったことではありません。事実私も生まれてこのかた国家にかかわることで、身に危険を感じたはことはなく、平和と安全が当たり前のことになってしまっています。


9.11で超大国アメリカがテロの危機にさらされても、日本が直接影響が及ぶ危機意識が今ひとつなく、北朝鮮テポドン、核疑惑、拉致問題といたっても、まだ私本人には・・・・・と思っています。


ですから、イラク問題と言われても、「戦争反対」「人道主義に基づく・・・・・」というメディア論調が耳に心地よく感じるだけなのです。


アメリカのイラク攻撃の思惑は石油をバックグラウンドにしたものであることは公然の事実ですし、戦争に反対するフランス、ドイツ、ロシアにしても、「戦争反対」は人道的な見地からだけではないことを分析するメディはたくさんあります。


翻って日本はどうなのか?この国の国益と、国民の安全と平和のためどう行動するべきかという論調はあまり見えてきません。


戦争に反対する世論を作り上げることは簡単なことです。


とりあえずどういう理由でも戦争は反対・・・・・誰にもわかることです。


政府は特に国益と国民の安全を優先しなくてはならないはずなのに、それを目的にした行動基準が見えないことこそをメディは追求していくべきです。


北朝鮮問題に関してはさらにいえます。


かく言う私も、世界平和とか戦争反対という甘美な響きだけに賛成していて、「国益と国民の安全」を忘れてしまいそうでした。他国に国益を侵され、それが直接生活に影響を及ぼしたことがなかったり、国民の安全が他国によって侵されたことが(個人レベルで直接は)全くないばかりに能天気はさらに能天気になっているのです。


イラクまで行って人の盾になるのは、それはそれで信念に基づいた立派な行動なのかもしれませんが、私たちが私たち自身と私たちの国のために何をするべきか・・・・そのことを考えてみたいと思います。


国が一部の人間のために動いてきた長い歴史から、今やっと「俺たちの安全のために」といえる時代がきたのですから。そんな簡単なことさえ認識していなかった自分がいます。


・・・・・やっぱり政治向きのことを語ってしまうと稚拙さがもろに。。。。