ビートの息遣い


山下達郎は私が二十代のころからずっと追い続けている、唯一の日本人ミュージシャンです。


キムタクの人気TV番組で山下達郎の”RIDE ON TIME”が主題歌に使われているのを知って、久しぶりに70年代のLPを引っ張り出して聞いていました。


改めて聞いてみると、この当時からレコーディングの常連であったドラムスの青山純とベースの伊藤広規がいい。素晴らしくいい。


レコーディングなのに各所でライブ演奏のようなビートの息遣いが聞こえてくる演奏があります。


達郎くらいに緻密な音つくりをするミュージシャンにとっても、きれいにまとまった音でなくてこの息遣いが大事だったのです。特に70年代から80年代にかけての達郎ミュージックにはそれが聞こえます。心を躍らせます。


もちろん達郎の場合、シンセサーザーやPCを使った演奏でも無機質に陥ることはありません。


1986年の”POKET MUSIC”のSHAMPOOのベースが、音だけなら「もしかしたらシンセザイーザー?」と思いながら、アクセントのつけ方やニュアンスは絶対にウッド・ベース・・・・のはずなのにシンセザイザーを駆使した音だったり、1991年の”ARTISAN”のしょっぱな、アトムの子では、躍動するビート感に「おお、今回のアルバムも青山〜伊藤コンビは快調だ」・・・・と思ったら、パーカッション以外はシンセサーザーだったり・・・・・


きっと達郎の頭の中には、稲葉国光風に聞こえるシンセサーザーのベース音と、本物のウッド・ベースを使った音の違い、青山〜伊藤コンビのビートとそれに近いPCで作られたビート、コンピューター・ミュージックと明らかにわかるビートの違いが明確に頭の中にあるのでしょう。


そうやって進化し続けている彼の音楽のもとにあるのは、アコースティックだろうと、PCだろうと、人が思いを込めて紡ぎだす「音」なのです。その原点にあるのは青山〜伊藤 ドラムス〜ベースのビートの上にのっかった熱さです。


その熱さが感じられる限りこれからもきっと聞き続けるはずです。


人気番組に触発されて昔の達郎が脚光を浴びるのはうれしいのだけれど、かっこいいだけでなくて熱いビートを感じていただきたい。