野菜さらに


昨日の農家さんのお話では説明不足でしょう。


今普通の大きなマーケットに行くと、全国どこでも同じような野菜が並べられています。


大根は青首大根だけ、白ねぎは三本セットの太さが均一なもの、キノコは同じように栽培されパックつめされたもの、ナスは一年中同じツヤ、同じ大きさの普通のナスだけ、胡瓜は付け根にも苦味のないまっすぐなものがやはり一年中。


野菜なのに「土」を感じさせない規格工業製品のようなものばかりです。


料理屋も含めた消費者も、いつでも安定した値段で使え、あくやえぐさの少ない使いやすい野菜を求めていたのかもしれません。


大雑把な言い方ですが、急激な経済成長と大量消費のために、農協を中心とした農家さんも生き残りをかけて今のような野菜を作ってきたのだと思います。


その中から有機だといって虫食いだらけの野菜がもてはやされたり、有機が注目ならといって農薬が少量というだけで有機野菜の名前がまかり通ったり、土を使わない水耕栽培が正しかったり、そうでなかったり、さまざまな経緯を経てこの二三年の「野菜の時代」を迎えています。


工業製品のような野菜、農協主体のみんなで一緒の野菜が持てはやされたおかげで、ほとんど滅亡しかけていた、栽培の難しい野菜、高価で売れにくい野菜が見直され、フレンチやイタリアンなど現地でなければ手に入らなかった野菜も若い農家さんによって作られています。


こういう傾向の芽生えはすでに20年前から感じていたのですが、流通の劇的変化、ネットやメディア注目による情報量の増大によってムーブメントといえるものになりました。


20年ほど前でしたら聖護院蕪や賀茂茄子を手に入れようと思ったら京都まで出かけ、八百屋と品物を見て交渉し、高い送料を払い・・・・それでも安定的に入荷はしなかったものです。増してや農家さんと直接お話をして・・・・などという密度の濃いお付き合いは、地方の普通の料理屋にとっては夢のまた夢であったのです。


やっと最近になって力のある八百屋さんなら、入手の難しかった京野菜や加賀野菜、地域を限定し、生産者を限定した野菜が手に入るようになりました。


私ン処であれば、岡部の筍、和泉の水茄子、京都の賀茂茄子、京都の水菜、長野のキノコ、それぞれの地の松茸、福井県大野市上庄農協の里芋、豊岡村新貝さんの海老芋、京都の聖護院大根聖護院蕪三浦半島の三浦大根、九条葱、下仁田葱、などなどなど。


そこからさらに昨日お話したような、農家さんから直接土がついたままいただく野菜、野菜そのものだけでなく、お互いの情報のやり取りと試行錯誤の時代がやってきました。


若い意欲的な農家さんとのお付き合いを通じて、安くて作りやすい儲かる野菜ではなくて、美味しくて安全な野菜を食べていただけるようにしていきたいものです。


美味しくて安全・・・・一番単純なようでいて今難しい野菜なのですね。