スタンダードを持つ


古今亭志ん朝さんのCD10巻 18話を繰り返し聞き続け、今年に入って立川談志さんを聞き始めました。


「饅頭恐い」「ねずみ穴」「風呂敷」「笑い茸〜胡椒のくやみ」「芝浜」


まだほんのちょっと聞きかじった程度です。


TVなどで垣間見ることのある高座の談志さんから二歩も三歩も踏み出たCDでの破天荒な話っぷりは、強力なインパクトがあって惹きこまれます。というより最初のうちは唖然としました。


よく聞かないと何言ってるのかわからない。落語を知らないと置いてきぼりを食う。また置いてきぼりにすることをネタにする。


枕(と呼んでいいのだろうか)から本題に入るのが唐突過ぎてかなりアバンギャルド。話の背景、シチュエーションを理解するのに時間がかかることがかなりある・・・・などなど。


録音源として残すとなれば、20年後30年後でも理解できるような仕立てにするかと思いきや、全く今そのままの談志さんを残しているところもいかにも彼らしい。


きっと、ひたすら志ん朝さんだけを聞きつづけていなかったら訳がわからなくて聞くのをやめてしまっていたかもしれません。


談志さんを聞く前に、志ん朝さんというスタンダードを持ったことが大きな意味与えてくれたことを実感しました。


料理も音楽も絵画も器もいっしょです。


たった一人の料理人、作家、芸術家の超一流だけを味わいつづければ、その本質が見えてくる、自ずと身についてくるのです。


私には身についたなどとおこがましいことはいえませんが、一人の一流を聞きつづけたことは事実です。


一人の天才を知ったことで、二人目の天才も「この人も天才なのかもしれない」という程度には認識する力を与えてくれました。


談志さんの話の端々には志ん朝さんへの敬愛が見えます。


「あいつは文楽を引き継ぐ力を持っている。ちくしょう、俺は志ん生を遥かに越えてやる」


・・・・なんて言っちゃったりすると


「チッ、チッ、チッ そういうもんじゃないぜ、お若いの」っていう落語通のお叱りが聞こえてそう。