蕎麦とフレディー・グリーン


フレディー・グリーンというジャズ・ギターリストがいました。ジャズギターといってもフルバンド カウント・ベーシー・オーケストラでひたすらフォービートのみを刻みつづけたミュージシャンです。"チャッ チャッ チャッ チャッ"4ビートのコードだけを弾き、一切メロディーというものを弾いたことがありません。晩年のコンサートではワンフレーズのメロディーを弾いて、それがギャグのように観客に大受けするほど、アドリブ中心のジャズ界では稀有の人です。


しかし、カウント・ベーシーの強力にスウィングするリズムには、フレディー・グリーンの"チャッ チャッ チャッ チャッ"がなくてはなりませんでした。彼がベーシー楽団のリズムを造ってきたのです。初めてベーシー楽団を聴いた1975年頃、新宿厚生年金ホールでアンプもマイクもない生音のギターが16人の大音響の中ではっきり聞こえてくるのには度肝を抜かれました。コンサートの出だしに、4人のリズム隊だけで音楽を奏で始めたとき、聴衆がどよめきました。そのどよめきの半分はグリーンの"チャッ チャッ チャッ チャッ"へのものだったと思います。


とはいっても、そういうフレディー・グリーンにはリズムを刻むために生まれたかのような求道者的なところは全くありませんでした。名楽団のリズムを下支えするようなパーフォーマンスであっても、全く淡々としかし強力無比に。もちろん本人の口からこだわりめいたお話が出たことは一度もありません。私たちファンから見れば、ベーシーとグリーンがステージに座っているだけで人の三倍はスウィングを感じてしますのです。言わせていただければ技術と言うより「芸」の域に達したミュージシャンでありました。


ひるがえって、昨日お話したような蕎麦職人とそれを取り上げるメディアのかかわりを見ると、職人さんご本人が好むと好まざるとに関わらず「求道者仕立て」 技術を極めることにメディアが取り付いて食べる側も巻き込んでしまうと、一皿が美味しければいいはずなのに、それにまとわるストーリーによって精進が脚光を浴び、芸術品のように考えられてしまいます。フレディー・グリーンの"チャッ チャッ チャッ チャッ"と比べてどうなんでしょう。


私にはひとつのことを人生などかけないで淡々とこなして、「域」に達した方がまぶしく感じられます。


職人が技術に絡めて人生を語り始めたり、先生になったりすると碌なことはないと思うのですが。