アカペラ人気


音楽には妙に手厳しい私が何度もかいていることなのですが、アカペラ人気がどこかうら寒くてなりません。


ゴスペラーズの地道な活動によって、アカペラに目が向けられたのは大変嬉しいことではあります。しかし、若者の目は日本のこういったボーカルグループにしか向けられていないようです。


ゴスペラーズのような日本のグループがアメリカの音楽に惹かれ、憧れ積み重ねたものはよく理解できます。私も黄色い肌をしながらジャズに限りなく憧れつづけた一人でもありますから。


ただ私の憧れの目は常にアメリカとヨーロッパのごく一部(近頃はアフリカも)、そして日本の極々一部のミュージシャンに常に向けられていました。だってレベルが違いすぎるから、音楽の質の高さが違いすぎるから。


日本の若者が日本のグループに頂点を求めるのは、なにか韓国あたりでジャニーズ系の真似っこして人気を集めているのと同質のような気がするのです。なにか恥ずかしい。


私が20代の頃、若者が旅とか放浪とか自由とかに惹かれて、海外へ出かけるのはブームのようなものでした。ご多分にもれず私も半年ほどアメリカ、カナダをフラフラしたことがありました。中でも一ヶ月ほど滞在したニューヨークは、ただそこにいるというだけだけでワクワクするような街でありました。仕事もせずにただ遊んでいるだけですからワクワクするのは当たり前なのですが。


週末になると出かけていたヴィレッジにはワシントン・スクエアーがあって、夜には公園のあちこち主に黒人の若者たちがアカペラ・コーラスを披露しています。ストリート・ミュージックと言えども、ニューヨークのレベルは素人でもダントツでした。彼ら黒人の歌声は持って生まれた民族の血がそうさせるとしか思えないような、迫力と天性のきらめきを感じさせました。20年前の素人のレベルでさえそうだったです。


圧倒されて突っ立っている私に、隣の黒人の若いのが「おい、なんで拍手しないんだ。こんなヒップな連中に。ほらほら、拍手だろぉ」と観客さえノリが違います。


肌が黒くなければ、ジャズもソウルもゴスペルも歌えないなどという、30年前に使い古したようなお話はしたくはありません。ただ、黒人見たいに歌うことに憧れた日本人がよくやっていることはわかっても、彼らの歌声は決してワシントン・スクエアーで心を震わせたように私の心に響くと言うほどのものではありません。


彼らの試みが真似ではなくてオリジナルなものに感じられるには、時間がかかるのかもしれません。それでも例えば山下達郎のように、憧れる音楽の模倣が「真似」ではなくて、「影響」と呼べるようなミュージシャンだって存在するのです。


などというお話は、ゴスペラーズ平井堅、ケミストリーなんかのファンにしてみれば、感性の乏しくて頭の古いオヤジの懐古趣味にしか聞こえないでしょうが。