冷房・暖房


昭和二十年代の国会 予算委員会(?)の真夏の古い映像を見た時、パタパタ、パタパタ白いものがあちこちで揺れていたのに気が付きました。議員のほぼ全員が扇子をパタパタやっていたのです。


考えてみたら昭和三十年代くらいまで、夏は出かけるのに扇子を持つのが当たり前だったのです。私など今でも使わない扇子の一つや二つは、どこかにしまってあると思います。


冷房が今のようにどこにでもある時代になったのは、いつ頃からだったのでしょう。


私の子供の時分、冷房などないのが当たり前だ頃、各客間には団扇をまとめて入れておく竹で編んだ入れ物があったのを覚えています。


冬には二人で一つくらいづつ小さ目の手火鉢が置いてあって、下働きのおばさんが墨をおこして用意しているのをうっすら覚えています。納戸には火鉢がたくさん置いてありました。


そういう時代には、夏にガラスの器を使ったり、鱸の洗いや冷やした茶碗蒸など涼しさを演出した料理は大層なご馳走に感じられたのでしょうね。刺身を氷で彫った皿に盛っただけでご祝儀が頂戴できた時代です。


今では、冷房のない料理店など考えられません。先日も台風の後の終末に冷房の一部が壊れてしまって慌てたことがありました。昔、お客様がお見えになる直前に冷房が壊れた時には、大きな氷の柱を部屋の隅々において後から扇風機を当ててしのいだことがありました。涼しそうに聞こえますが、冷房になれた身体にはその程度では役に立たなくて冷汗をかきました。


平安の昔の貴族の家というのは、京都の冬の厳しい寒さはさておき、ひたすら夏の暑さを凌ぐために風通しよく作られているのだと聞いたことがあります。今のように冷房があることがあたりまでの空間設計では、風を通すための配慮は都市熱の熱風を呼んでしまうかもしれませんね。