ベトナム戦争


私にとって悲惨な戦争と強く感じるのは第一にベトナム戦争です。


青春時代に同じアジアで戦われ、報道がお茶の間に戦争映像を持ち込んだと言えるほど身近にあり、それにまつわる本や写真集、映画などたくさんの情報を得ているからかもしれません。


開高健の名著「ベトナム戦記」、岡村昭彦「南ベトナム戦争従軍記」、生井英孝「ジャングル・クルーズにうってつけの日」、石川文洋「戦場カメラマン」、沢田教一「泥まみれの死」、一ノ瀬泰造「地雷を踏んだらさようなら」


映画でも「ディア・ハンター」「地獄の黙示禄」「帰郷」「ローリング・サンダー」「ハンバーガー・ヒル」「7月14日に生まれて」「グリーン・ベレー」「フルメタル・ジャケット」「プラトゥーン」・・・・・


戦争の悲惨さを伝えるもの、「アメリカは傷ついた傷ついた」と訴えるもの、冷徹に事実を伝えようとするもの、ベテランの勝利自慢など様々です。


で、
久々に見たベトナム戦争の戦闘そのものを扱った映画「ワンス アンド フォーエバー」を見てきました。


これまであまり取り上げられなかった北ベトナム正規軍との真正面からの激しい戦闘が描かれる一方で、北ベトナム兵士の表情も捕らえ、米国で夫の帰りを待つ妻の姿も表しています。戦争の悲惨さ、戦場の過酷さを訴えようと、政治的要因はとりあえずさておいておいて、戦ったのは戦友を守るためであり、ベトナム軍もよくやったとたたえるのは、戦争の愚かさを兵士の勇敢さにすり替えられてしまったような気もします。


それでも原題”We Were Soldiers”が示すような一兵士の思いは、異国に土足でづかづか入り込んだようなベトナム戦争の場合、国家のためでも、愛する家族の安全のためでもなかったわけで、戦友を守るためと思い込ませなくてはならなかったのでしょう。そこに、アメリカ人の心にいつまでも巣食うベトナム戦争の汚点意識が象徴されているのかもしれません。


アメリカ軍はベトナム戦争を経験することで現在のような死者を出さない戦術とテクノロジー発展させたと聞きます。だからと言って自軍の死者が少ないからと戦争が肯定されるわけではありません。アメリカが「我々は打ちのめされた」と訴えつづけるべトナム戦争のアメリカ軍の死者が5万8千人。つい先ごろ戦没者の慰霊祭があった太平洋戦争の沖縄戦の死者が民間人も含めて22万人。


平和ボケと言われつづけても、この57年日本が戦争を起こさなかったことは誇るべきで、今後もそれは守られつづけなければならないのだと確信しています。


戦後の教育の中で軍隊そのものが悪で、日の丸、君が代のもとに若い命が奪われてきたとメディアが書くものを信じ込み教えられてきた私には、未だにワールドカップで日の丸のもとに国家を斉唱する若者の姿に少々のわだかまりを感じてしまうのも事実です。


そういうわだかまりをいつまでも引きずってしまう私のような人間を作る、教育とか世論とかいうのは恐ろしいものです。反発しつつも心の奥底に消えないでいるのですから。