水探し


お客様に飲んでいただく水は奈良 油長さんと秋田 天の戸さんの日本酒蔵の仕込み水を使っています。柔らくておいしいお水です。


高価な浄水器の類をあまり信用していませんので、その他のお茶や飯炊きのための水をどうするべきかと以前から考えていて、名水を探していました。


水そのものを飲むならば、やっぱり水道水をお客様にお出しするわけにはいかないのですが、お茶やご飯、出し汁に使うのに水に入れ込んだところで、どこまで味の差を明確に表現できるものか、疑問でもありました。よくあるラーメン屋さんのように「スープには○○の水を」とこだわりと称して自慢しても、○○の水だから決定的に味が違うものか、正直私のような未熟な舌には理解できません。こだわりのためのこだわり、自己満足のためのこだわりなど全く無意味で、その程度のことは「こだわり大好き料理店」と「素人グルメ評論家」のグルメごっこに任せておけばよいのだと思います。


ただ、日本料理の繊細な部分を突き詰めていくと、単純なものであればあるほど一つ一つの要素への取り組みの積み重ねが味を洗礼させていくことは間違いありません。


水への思い入れがどこまで味に反映されるか、少しづつ試行錯誤をしていっても無駄ではないかもしれないと、休日を利用して車で一時間半ほどの山の中へ水を汲みに行ってきました。


その場所には、月曜日だというのにポリタンクをいくつも持った人たちが何人も集まっています。私が到着した時には20Lのタンクが10個ほども順番待ちの列をなしていました。


自然に皆さんから水のお話を聞くことができます。


「ここの水は上(カミ)に民家や畑がないから安心だ」
「雨の日の翌日は水量が増すけど水質はよくなくなる」
「月に2回は取りに来ている」
「ここのは飯炊きと味噌汁に使っていて、飲み水は水窪(かなり山奥)までいくんだ」


などなど、水道水を飲めなくなってしまった水フリークたちのお話は入れ込み方が違うようです。


ポリタンクに5本ほど汲んできた水は確かに柔らくて、妙な癖が何もない美味しいものです。


果たして、車で往復三時間近い距離を頻繁に行き来するだけの価値が味に反映されるか?具体的にその時間を作ることができるか?料理屋で使う分だけの量を常に確保できるか?


美味しいものを作るための労を惜しんではいけませんが、ただの自己満足のためだけであるなら、時間はもっと有効に使わなくてはいけません。


じっくり考えてみましょう。