自分自慢のためのお酒
「この前飲んだ○○の方が美味しい」
などという言い方で、今飲んでいるお酒を否定的に見るのは好きではありません。
ワインのご注文があって、お話をお伺いした上で抜栓した「レフォールド・ラトゥール1989」
「やっぱりこの前飲んだラトゥールのほうが美味しいなぁ。月とすっぽんだぁ」
申し訳ないと思ってお聞きすると、この前飲んだというのは1995年のラトゥール。ワインの頂点を極めるラトゥールとそのセカンドワインたるレフォールド・ラトゥールを比べること自体どうかと思いますが、1995年などという開けてしまうこと自体犯罪行為に近い若いラトゥールと、いい熟成に入り始めた1989年のレフォールド・ラトゥルのどちらがいいか・・・・・。
さらに追い討ちを掛けるように「レフォールド・ラトゥールなら¥5000で買えるし」
1989年のレフォールド・ラトゥールが¥5000で買えるなら私がまとめて頂戴したい。
しかも、このワインは接待でおごっていただいているもの。接待する側には予算もあるし、接待で出されたワインをけなされては接待が成立しません。接待側の居たたまれなさといったらありません。
冷静になってみれば、ラトゥールを飲んでいること自体を自慢したいだけだったのかもしれません。
「ワインを・・・・」というお話があてお部屋に伺うと、リストを食い入るように見つめるお客様。
「ルフレーブ(ブルゴーニュ白ワイン最高のつくり手の一人)とかはもっとないの?」
「(おいおいここは田舎の日本料理やだぞ)ルフレーブは1996のバタール 1995のピュセルがリスト以外にありますが、まだ飲みごろには達していないかもしれません」
「アルマン・ルソー(ブルゴーニュ最上の造り手の一人)は1992年のクロドラロッシュしかないの?」
「(ここは東京のフレンチじゃないんだから)シャンベルタン・クロドベース、クロサンジャック、カズティエ、クロド・ラロッシュがありますが皆1995年で日本料理にはまだ若すぎますのでリストには載せてはいませんが・・・・カズティエでしたらいけるかもしれません」
「アルマン・ルソーのモノポール(単一畑)でなんて言ったっけ・・・・あれないの?」
「申し訳ありません。不勉強で存じません」
それなら・・・と私がお奨めするものには耳さえ貸していただけません。
この間話を楽しむでもなくニコリともせずに10―15分、ごいっしょの方々は飽きてしまってビールを飲みつづけています。
これも冷静に考えてみたら、ルフレーブやアルマ・ルソーなど自分の得意な造り手の話に引き込みたいだけで、その辺を飲んだことを自慢したいだけだったのかもしれません。
実はこれも接待、注文されたワインの値段を知った接待側は青い顔をしていました。
ご自分で選ばれたレオビル・ラスカーズ1983年をテイスティングしていただいてOKをいただいたお客様。
シャサーニュ・モンラッシェ モルジュ1996(コンラン・ドレジェ)の時に「この前飲んだムルソーのほうがうまかったな」と聞いた時にいやな予感はしていました。
ラスカーズのボトルが半分なくなったところで、「このワインやっぱり美味しくないわ。フワーとくるところがないもん」
「いえ、これはワインの劣化ではありません。1983のキャラクターです」と私。
少なくとも私は1983年のラスカーズは5本以上飲んでいます。ラスカーズは80年代だけで違うビンテージを二ケース近く飲んでいるはずです。私のラスカーズへの敬愛は理解していただけません。
これも接待。ワインはわからないとおっしゃる接待側はおろおろするだけです。
ワインを楽しむこと、人間関係も含めて食事自体を楽しむことの難しさ感じる時、セラーにあるお宝が無理解にさらされるよりは自分で飲んでしまおうかと思ったりもします。
お客様を無くすかもしれませんが、心遣いや優れたお酒への敬愛がない方がお得意様になることはありません。