ラーメン屋さんのこだわりその2


ラーメンに小宇宙は存在するのか?


ラーメン屋さんのこだわりについてもう少し書いてみようかと思っていたらば、たまたま日本TV系列で「ラーメンベスト99」みたいな特バンがあるというので、まっ、それを見てからなら考え方が変わるかも知れないと少し間をおきました。


実をいうと私、もしかするとラーメン音痴。未だ、ラーメン専門店で驚愕するほどの美味しいラーメンをいただいたことがありません。味を認識するだけの舌を持っていないのでしょう。


録画しておいて見た三時間のラーメン番組は、つまらなくて40分ほどで飛ばし飛ばしで見てしまう有様。


決してラーメンが嫌いではありません。むしろ大すきと言っていいほどなのですが・・・・。


ざっと、番組や最近うかがった店、店を考えると、近頃の傾向はスープ嗜好、ベースはトンコツ、鶏がら、和風の渾然、半熟の煮卵、メンマ、煮豚と麺が主な構成要素です。


これだけなのにどうしてここまで「こだわり」「研究に研究を重ね」「寝る間を惜しみ」「厳選し」「道を求める」こと強調するのでしょうか。これだけだからこそ、そうするのか。


最も脚光を浴びているスープにしても
10数時間の時間をかけている
○○産のトンコツのすねのみを、○○産の鶏がらを使っている
有機野菜を選んで使っている
○○産の塩、○○産の醤油を使っている
利尻昆布を使っている、羅臼昆布を使っている、5種類の昆布を使っている
○○産のアゴを、○○産の本枯れを、○○産の鯖節を宗田節を、甘海老の頭を干して、干し椎茸を干貝柱を使っている


果ては「秘密だけど20数種類の素材を使っている」


などなどなど


結局のところ、時間をかけていることがえらいことで、厳選した素材を使っていることがえらいことで、たくさんの素材を使えば使うほどえらいことのように思えてしまうのですが、果たしてそんなものなのでしょうか。


私の舌ではこれだけ渾然一体になってぐつぐつ煮込んだスープに使う昆布が、利尻だろうと、羅臼だろうと味わい分ける能力はありません。


同様に水、塩へのこだわりは、煮込む時間が長ければ、厳選素材を使った意味が味にストレートに現れるとは思えません。(醤油は別だけど)


時間をかければかけるほどスープがよくなる法則はありえません。


プラスプラスプラスしていくスープは「言ったモン勝ち」の何でもありの世界です。厳選すりゃいいってモンでも、素材が多けりゃいいってモンでもないような気がするのです。


こだわりのためのこだわり、自己満足のためのこだわりという側面がが欠片でもないのでしょうか。


ラーメン屋さんの努力が大変なものであることは認めるのですが、今のラーメンの傾向はマスメディアとお手軽グルメを気取れる素人のためのお遊びの道具にされているようでいたたまれません。


近所にまじめにこつこつ仕事をするラーメン屋さんがあるのはとても嬉しいのですが、衝撃を受けるほど美味しいかどうかわからないほどのもの、1000円以下で気軽に食べられるものを並んでまで食べたいとは思いません。


脱サラをして初め、全国を食べ歩き、寝る間を惜しんで作り上げた店が、今の持て囃され方ではせいぜい三年でブームが終わってしまいそうなのはいけません。


今のラーメン屋さんの「こだわり」はなんか釈然としません。


ラーメンファンの方、ラーメン屋さん、怒らないでね。


でもねぇ、私、こだわりのラーメンより、力のある中華料理屋さんでいただくまじめに取った普通のスープで作った、各種の麺のほうがまだずっと美味しいと思ってしまうのですよ。


なぜだろう?やっぱりラーメン音痴なんだろうか。