パット・メセニー新作


このところちょっと前に書いたパット・メセニーの新作を聞きつづけています。


パット・メセニー・グループとしての新作はイマジナリー・デイ以来4年ぶり。


ジャズと言えば、アドリブ。各プレーヤーのアドリブソロとバックの演奏者のインタープレーにその醍醐味があります。


ところが、パット・メセニー・グループというのはギタープレーヤーであるパットのソロが中心で、ライル・メイズのピアノはノホホンをそこにあり、スティーブ・ロドビーのベースはあくまでバックアップ、ポール・ワーティコのタイコのソロがワンコーラス続くと言うことはまずありません。


”ジャズは「俺が俺が」と自己主張するソロが命である”信じていた私には、どうもそこに物足りなさが残っていたと言うのが最初の印象でした。


しかし、パット・メセニーのグループとしての素晴らしさは、その各々の特性を十分に生かした構成力なのであると気づくと、やっぱりライル・メイズの作曲力や趣味のよさ、スティーブ・ロドビーの音作り、アルバム創りの巧妙さがあってこそパットのソロが生きているのだとわかります。ライル・メイズの長いソロやスティーブ・ロドビーのソロは曲の構成の中では必要ありません。


一曲一曲の緻密さと、曲を盛り上げるための計算された構成は「俺が俺が」では絶対作り上げられない魅力でもあるのです。ですから、普段ジャズを聞かない層にも広く支持されているのだと理解できます。


で、
今回の新作「スピーク・オブ・ナウ」ではその計算された音楽に変化があるように思えます。タイコのアントニオ・サンチェスとヴォーカル、パーカッションのリチャード・ボナの加入のためです。


サンチェスのタイコは各曲ともとてもビビットで(特にシンバルが素晴らしい)その時の彼の感性がストレートに現れています。つまり、曲をまとめるためにここでこういう風に叩いて・・・・というよりは本来あるべきジャズの即興性が生々しく感じられるドラミングで、ライブ感にワクワクさせられます。これは今までのドラマーには感じられなかった発見です。


そして、極めつけのリチャード・ボナ


たぶん誰も覚えていないでしょうが、二年も前にボナの凄さをこの日記の中で書いています。誰も興味はないだろうけれど・・・・と。


ボナの魅力がパット・メセニー・グループでこういう形で現われてくるとは思っても見ませんでした。本来私の認識はベーシストとしてのボナ、もちろんヴォーカリストとしてもパーカッショニストとしても素晴らしいのですが、ボナはベースの能力だけをとらえるなら、スティーブ・ロドビーをはるかに超えるテクニックと音楽性を持っていると思われるのですが、パットが今のグループでベーシストに求める音はロドビーの音であって、ボナのベースではないのですね。それでも、ヴォーカリストパーカッショニストとしてのボナもアフリカ人のリズム感と節回しで完璧に新しい世界をグループに提供しています。他の誰にもできない音です。


以前にボナを渡辺貞夫さんのグループのゲストで聞いたときには「ボナがそこにいる渡辺貞夫グループ」とでもいうように、ボナの個性が突出してキラキラらしていたのに、パットのグループの中ではあくまでグループの音創りの一役を担うボナに感じられるのは、パット・メセニー・グループの力の大きさを示すものでもあります。


このグループとは別に、パット〜ボナ・プロジェクトを作ったらまったく違うスーパーグループができること間違いありません。期待したいところです。


などという感想は、うがって批評家っぽく聞いてしまう私のいやなところです。普通に聞けば、パット・メセニー・グループはメンバーが少々代わってもやっぱりパットの音楽で、表現力が豊かな素晴らしいアルバム・・・・です。でも、聞き込んでいくとこのグループの進化の仕方はアルバムごとに飛躍的です。20数年常に進歩しつづけるというのは並大抵のことではないのですから。