霧が晴れる


田中眞紀子人気がどうしてなのかどうもよくわからないでいました。政治向きのことはこの日記には不向きであること、板前風情には語るには重過ぎること知りつつ。


外務大臣を更迭されたとき、タイミングはともかく、料理店の主人が店の従業員の勤務態度にブツブツいうばかりでお客様をないがしろにするような・・・・(ちょっと表現に無理がありますが)外務大臣の資質にはうんざりしていたのに、田中更迭けしからんという内閣支持率の急落はどうしてなのだろう?


中野翠さんの近著に

その人たちは何が何でも眞紀子さんの味方をしたいのだ。醜態は決して見たくないのだ。「巨悪の中に殴り込みをかけた庶民の代表」という物語の中に置いておきたいのだ。
 多くの日本人は野球界に野球を見ないし、芸界に芸能を見ないし、政界に政治をみない。野球や芸能や政治の代わりに「世間」をみるのだ。「世間」という日本的な人間関係の縮図、下世話な人事ドラマ、身近な人生訓を見るのだ。そういう風土の中にあって、小泉さんを眞紀子さんは、何か、多くの日本人に「他人じゃないっ」と思わせる、自分の分身あるいは身内のようなに思わせる、そういう魅力があるようだ。
 特に眞紀子さんへの親密感というか一体感の根強さは凄い。田中眞紀子という人にどんな学歴があろうが、金持ちだろうが、苦労知らずだろうが、多くの日本人は直感的に「同じ血が流れている!」と確信しているかのようである。とびきり出世した親類のように大切に思っているのはないだろうか。そういうご自慢の親類が公の場で恥をかかせるのは、うん、確かにはらわたが煮え繰りかえり、耐えがたいことなのかもしれない。


また、

つくづく、この方は(田中眞紀子さん)仮想敵がいないともたない方なんだなと思う。つねに何か敵、それも単純でわかりやすい敵を設定し(妄想してといってもいいかもしれない)、それに対してキバをむくというスタイルの中に自分のアイデンティティを確保している。
(中略)
しかし、また自分が思うに、世間は田中外相のそういう嗜好パターンを愛しているのかもしれない。つねに自分以外のところにドス黒い巨悪を設定し、それに対してやみくもキバをむき、吠え立てる・・・・という構図が好きなのかもしれない。狡猾なる権力VS.誠実なる反権力、腐った金持VS.けなげな庶民、不純な大人(おやじ)VS.純粋な子供(女子ども)・・・・という昔ながらのおとぎ話の中にいたいのかもしれない。
 そういうおとぎ話を芸能娯楽の中に求めるのは結構だけれど、政治の世界、しかも国際的な外交の世界に求めるのはまったくもって畑違いと言うものだ。


と、
そうか、そういう感覚ね。
なんか生理的にいやだなと思っていたことを言い表してくれていて、目の前の霧が晴れるようです。


また、別の項で

私はかねがね田中眞紀子さんのスマイルの繰り出し方には感心していた。
 コワモテでガンガン悪態をついていたかと思うと、一秒の何分の一というすばやさで、自由自在にサッとスマイルを繰り出せるのだ。これで俄然、それまでの悪態がチャラになってしまう。


とも。


このスマイルって、鈴木宗男代議士が大声でがなりたてと似てるかもね。


いずれにしても田中眞紀子鈴木宗男への日本人意識とメディアの扱い方を考えると(ついでに石原慎太郎も)、首相公選などという考え方は私も含めたこの日本の民度では危うい気がします。