見た目の美しさ


昨日録画しておいてみたNHK「人間ドキュメント」は、らい病患者が60年ぶりに故郷を訪れると言う内容のものでした。


らいの方々がメディアに登場され始めたのは、国が行政の間違いを認めた異例の判断後のことで、それまで封印をされ隠されるがゆえに見えない恐怖感が確かにありました。


それでも昨日の番組の主人公である桜井さんと言う方は、ハンディキャップゆえの差別はすべきではないなどという上っ面の倫理観を跳ね飛ばしてしまうほど、らい病の恐ろしさを見せつけてくれました。


眼球は摘出されて盲目、頭蓋骨のほうが美しいのではないかと思うほど病気ゆえに崩れた顔、手の痕跡さえ残らない枝のような腕、声帯も摘出されてささやくようにしか伝えられない声。


もし街ですれちがったら、驚きで思わず立ちすくんでしまうであろうというのが包み隠さない正直な印象です。


それでも、彼の口から発せられる聞こえるか聞こえないかくらいの言葉はすべてが詩になっています。美しく積み重ねられる歌のような言葉。


50歳をこえてから目覚めた詩の才能で本さえ出版しているとはいえ、70歳の老人のものとは思えない瑞瑞しい若さに満ちています。


不思議なことに、たじろいでしまうと初めに感じた見た目は、番組が進むとともに違和感がなくなっていきます。それどころか、差別され隔離された険しい人生にもかかわらず、培われた彼のやさしい人間性と美しい言葉の数々に次第に引き込まれている自分に気づきました。


見た目の美しさと人間としての美しさのギャップをこれほど感じたことはありません。


最近流行とも言える、美容整形で追求する見た目だけの美しさは、この番組をみれば極々つまらないものにうつります。