暖簾〜伝統


新装開店の時に一回だけ広告なるものをうったことがありますが、2月発売のグルメ誌の取材があったのをきっかけに「久しぶりだから一回くらい」と、かなりいいかげんな動機で広告を掲載してもらう話が進んでいます。


十数年のお付き合いをしているデザイナーさんにお願いをして大枠が出来上がってきました。


前回の広告のテーマは「手塩」
手前味噌ながらいい言葉だなと自己満足したものですが、今回は「暖簾」


個人的には暖簾の重みなどというのはほとんど感じない、鈍感な板前ではあるのですが、考えてみるとこの「暖簾」という言葉にはいくつかの意味があって、昨夜仕事後、提出されたコピーを眺め構成しながら様々なことに思いをめぐらせました。


機能的な意味での「暖簾」は、店名を記して店の在り処を示すための看板としての意味。内と外とを区別するための扉的な意味。


扉的な意味においては、布一枚しかもすべてを隠すわけではないのに「ここから先は別の空間である」という断固とした意志がありますし、暖簾の間からチラッと見えるという「曖昧さ」をあえて残すというほかにはない機能を持っています。


精神的な意味においては「暖簾」は、顧客からの「信用」としての意味をもちます。「暖簾分け」などという言葉も修行先の信用を分けていただくというような意味合いが強いのだと思います。


さらに、辞書的には示されてはいないのですが、「暖簾」には店が培った「伝統」の意味合いもあるような気がします。「暖簾に傷をつける」というと信用を損なうという意味以上に、それまで積み重ねた伝統的なるものを崩してしまうというような意味を感じるのです。


他様から見ると「創業80年 親子三代」というのは老舗以外の何ものでもないのでしょうが、私自身にしてみると「店が長く続くのがいいってもんじゃありません」とういのが本音の本音です。


私ン処の近所には100年四代以上続く店がたくさんあって、そういう方々から「80年くらいを鼻にかけて・・・・」と笑われてしまいそうで、80年を声高に語るにはためらいがあるのです。


長い積み重ねをしてきてくれた先代、先々代にはもちろん感謝をしているのですが、伝統とか老舗とか言うと言葉に「手垢」のついたような感覚をおぼえてしまうこともありますし、店の積み重ねは受け継ぐこと以上に、破壊し、革新することによって成り立つと信じています。


考えてみると、ずっと受け継がれた逸品があるわけでなし、店としての「売り」も特定の品物ではありません。


というわけで、店の広告に「暖簾」を掲げるのは、今の私の心情を積極的に訴えるかどうか・・・・根本的なところで迷いがあるのですが、弁いちを知らない方への遡及的な意味ではかなり効果的であることは間違いなさそうです。


さて、どうしたものか。