グルメサイト再び


私が好きなグルメサイトにはリンクもさせていただいている、このサイトこの方のサイト、定期的に拝見するこの方のサイトなどがあります。


これらの個人もしくはそれの準じるサイトが素晴らしいのは、批評やコメントに一貫性があって、たとえそれが個人的感情であったとしても、そのサイトに表現される言葉や点数は、その方々の人間そのもののを現し、食への情熱や店への思いやりに満ちているからであります。


宣伝がらみのグルメサイトやただの店紹介のためのサイトに比べると、自分の気持ちを表現しているサイトのほうが面白いことは言うまでもありません。しかし、裏を返せば、この店は美味しい、あの店は好き、こっちの店は不味い、あっちの店は最悪と個人がネット上で公にすることは、自らの舌のレベル、感性の高さ、物の美味しさを理解する力のあるなしを披露していることでもあります。


美味しい不味いは人の好みではあるのですが、その味を理解できるかどうか、その店のスタンスを理解する能力があるかも大きく関ってきます。


理解とかの能力とか大きなことを言ってしまいましたが、料理店の場合その価格と内容のバランスで成り立っている以上、価格なりの満足度がないというのは多くの場合料理側に落ち度があることが多いのですが、お客様の理解が及ばない場合もないわけではありません。


白川の昆布〆といったって養殖の平目の方が美味いじゃん


京都の賀茂茄子といったって米茄子と変わりないじゃん


○○川の鮎っていったって大きいだけじゃん


蒸し鮑っていったって大したことないじゃん


ドメーニュ○○のワインっていったって、カリフォルニアワインのほうが美味いじゃん


ということがあっても不思議ではありません。それは店にとってもお金を払うお客様にとっても不幸なことです。


ただ、そういうお話を個人サイトで披露してランキングをつけるというのは、自分の価値観を問われるようで私ならためらいます。


上記のようなサイトでは、そういった店への理解は店主や調理長レベルで行き渡っていて、そこから先のコメントから見える人間性に敬意をおぼえるのです。


店の批評を噂話でするのは簡単ですが、webサイトで公開するというのはその人そのものを見せてしまうという意味で難しい。