ワインをおいしいと思うとき


お得意様が持ってこられたワイン 「リッシュブルー 1988 ドメーニュ・ド・ラ・ロマネコンティ」をご相伴させていただきました。


世界のワインの最高峰のひとつと言われる「ロマネコンティ」に隣接する畑で、同じくロマネコンティ社が造るボトルです。


この世でもっともワインに適した条件を備えると言われるこの一区画に、ロマネコンティ社が持つ畑は、ロマネコンティ、ラ・ターシュ、リッシュブルー、ロマネ・サンヴィヴァン(ちょっと離れてグラン・エシェゾー)があって、幸いなことにそれぞれの畑のいくつかのヴィンテージをいただく機会に恵まれているとはいえ、「どう違うの?」と問われると、「わからない」「どれもおいしいとしか言いようがない」と答えるほど貧弱な舌しか持ち合わせない板前なのであります。


これらのグラン・クリュ(特級)と呼ばれる畑のまわりには、さらに綺羅星のようなプルミエ・クリュ(一級)畑が居並ぶのですが、それらのワインの香りの複雑さや味の特徴的な個性に比べてロマネ・コンティ社のワインの数々はそういった怪しい魅力を通り越した気品に満ちているような気がます。あえて言えば、下手をすると美しすぎてどうおいしいのかわからないという一面があるのです。


昨日も持ってこられたご本人はリッシュブルーのおいしさが十分すぎるほど理解できる方なのですが、ごいっしょされた方は「この臭さが美味しいって言うんですかねぇ?」と冗談とも本気ともつかずにおっしゃいます。もうひとかたも「親方がそれほど感激するってのはおいしんですね」と。


何度も経験していることなのですが、ブルゴーニュワインではよくあることです。


象徴的なお話として語られるのは、かのマダム・ラルー・ビーズ・ルロワでさえ、「ロマネ・コンティがもっとも偉大な葡萄畑であるとわかるのに二十年かかった」と明かしているというのです。マダム・ビーズといえば、ロマネ・コンティ社のかつての共同経営者にして、テイスティングに関して彼女の右に出るものはいないと言われるほどの天才的な舌を持つ人です。


そんな奥深いところでの認識ではないにしても、ヴォーヌ・ロマネのグランクリュを心底美味しいと思うには、段階があるのかもしれません。


ロマネ・コンティは「完璧な球体」と言うべきワインなのだと言われます。つまり、ヴォーヌ・ロマネのあらゆる特質を統一し、豊かにしながら、ゆがみがない。突出したところがないというのです。整いすぎているがために理解できないのでしょうか。


正直に申し上げて、私も初めて口にしたときの印象は、力強くて美味しいというより、はかなげで頼りないほど美しくて美味しい、香りは複雑を通り越し、個々の印象を取り上げられなくて一塊で整っているというものでした。美味しさを理解すると言うよりはその魔力の一端に触れて魅せられてしまったというべきかも知れません。


これらのワインは誰が飲んでも本当に美味しいと言えるほどの説得力をもつものなのか?未だによくわかりません。それが魅力ということも言えます。