ネットと読書
夏休みに出かけている間、我慢してネットから離れていました。
暇さえあれば・・・・じゃなくて暇をもてあそぶために出かけたのでした・・・・読書三昧。
乾いた砂に水が吸いこむように頭の中が潤っていきます。
気持ちいいです。
村上春樹「ねじまき鳥 クロニクル」(上 中 下)(文庫本なので)
宮部みゆき「魔術はささやく」
向田邦子「冬の運動会」
平山喜三郎「女人しぐれ」
岸本周平「中年英語組」
なかでも村上春樹は凄かったです。
なんで意地張っていままで手に取らなかったんでしょう。
「ノルウエーの森」の猫も杓子も・・・がいけませんでした。
みんなが「いい」「おもしろい」というとつい読む気がしなくなって離れてしまいます。
宮部みゆきもそうだったのですが、村上春樹もちょっとしたエセイのようなものを読んだだけだったのが、いきなりページをめくった大作はハラワタにグッ染み込みました。
もともといわゆる純文学作品は苦手で、勉強以外の本は面白い事だけが大事と思っているのですが、力のある純文学作品というのはそれでもグイグイと私を惹きつけていきます。
ある評論家が純文学とエンターテイメントの差異をこんな風に説明しています。
「純文学とエンターテイメントの差異は一言で云えば、意識の差、意識のもち方の違いということになるだろう。エンターテイメントにおいては、作家は読者がすでに抱いている既存の観念の枠内で思考し、作品は書かれる。その枠内において、人間性なり恋愛感なり世界観といったものは、いかに見事に、あるいはスリリングに書かれていても、読者の了解をはみ出したり、揺るがすことはない。
純文学の作家は、読者の通念に切りこみ、それを揺るがせ、不安や危機感を植え付けようと試みる。純文学の作品は、本質的に不愉快な物である。読者をいい気持ちにさせるのではなく、むしろ読者に自己否定・自己超克をうながす力をもっている。
いわば、エンターテイメントが健康的なビタミン剤であるとすれば、純文学は致命的な、しかしまたそれなしでは人生の緊張を得ることのできない毒薬である」
虚と実の間を不思議に行き来し、「ボクにはわからない」「真実などない」・・・とでもいうようなあいまいな世界が繰り広げられながら、(実際にはこういう持って回ったような書き方は大嫌いなのに)麻薬のように作品の中に取り込まれていきましました。
まさに毒薬です。
こんな凄い作品を書きながらしかも多作である・・・・村上春樹、どんな頭をしてるのでしょう。
かなり遅まきながらこの人の作品をひとつづつ読んでいこうと思います。