なくしてしまったもの


まさか私ごときが、作法について云々するなどとは思っても見ませんでした。


左様に世間は作法とか礼儀とか敬いとか遠慮とかいうことに疎くなっています。


要は事の由縁を知り、人に不快感を与えないように振舞えばいい訳で、難しいことはなにもありません。


たとえば、結納。


古来は結納、婚儀というのは「家」と「家」のものでした。


男性側、女性側双方に取り持つ仲人がいて、吉日に男性側から結納の品々を女性側に持って伺うのが結納式です。


ですから、昔は男性側は仲人がいればいい訳で、結婚する当人でさえ結納式には出なくても差し支えなかったと聞きます。


まっ、私が知る時代ではすでにそんなこともなくて、双方共にに仲人がいることも少なくなっていました。


とはいっても、あくまで男性側が女性のお宅に伺い、女性側が持て成すという図式は変わらないわけですから、私どものにような料理屋で結納式をする場合にも、女性は早めに到着してお待ちする。席につくにも譲り合いなど存在せず、男性側の仲人が上座、女性側が下座でなくてはなりません。


もちろん、新郎新婦となる二人は最下座が当たり前で控えているくらいがちょうどいいのです。


女性のお宅で持て成す場合でしたら、新婦となる女性は一緒の席にはつかずにお運び、お持て成しに徹するくらいであれば、先方のご両親は「うむ、うむ、よし、よし」と嫁となる女性の評価が上がります。


などということが頭にあれば結納式の段取りは一応覚えても細かい所作でウロウロすることも少なくなる・・・・かもしれません。


とはいっても現代の結納は別物です。結納が両家の初顔合わせの場であって、単なるお食事会であることも少なくありません。


家と家とのつながりなどは結婚する当人には問題外、親にしても面倒な事はなるたけ避けたいのですから。


席順も若い二人が最上座に座り、服装もかなりカジュアル。女性もひざを崩し、よく言えば和気あいあい、和やかなムードで進みます。


「私たちが幸せなんだからいいじゃん」という若者と、伝統的な慣習を否定し続けてきた私も含めた親の世代が、自由と闊達を得た分、形式の中に育んできた思いやりを捨ててしまった結果なのです。


これはこれで時代の流れとして受け止めるべきなのでしょうね。


何年か後には結納自体がなくなっているかもしれません。