大阪 池田 小学校乱入刺殺事件


大阪 池田の凄惨な事件は、繰り返されてきた常軌をいっした殺人事件の止めをさすような惨いものでした。


子を持つ親としてこれほど居た堪れない事件はありません。


戦争後半世紀の平和な時代は、弱者に最悪な暴力をもって挑むと言う形まで発展してしまいました。時代はかくも暴力に対する嫌悪感を希薄な物にしてしまったのでしょか。


あらゆる暴力は否定されなければなりません。


暴力の最たるものである戦争を体験していない私の世代は、親から生々しい戦争体験を聞くことで暴力に対する強い気持ちを育ててきました。


その気持ちを次世代に伝えるには体験としての実感がない分説得力がないようです。だから「どうして人を殺してはいけないのかを語りあう」などという、恐怖感を伴わない論理でしか語れない弱々しさがあります。


耐えず争いがあって、死の恐怖がが身近であった時代には「どうして人を殺してはいけないのか」などという議論など起こるはずさえなかったはずです。


さらに、事件に遭遇した子供達の「心のケア」が連日メディアで語られています。


地下鉄サリン事件やバスジャック事件などでも言われつづけてきた「心のケア」というのも、精神科医療の発展によって注目されてきた分野なのでしょうか。


ベトナム戦争後遺症に苦しむアメリカ人たちが「我々は傷ついた」と心の病を訴えている時、「じゃ、自国を荒らされ国民全体が心の病を抱えたベトナム人はどうなの?」思いました。


また、亡くなるまでにめったに口を開くことがなかった亡き父の壮絶な戦争体験と、日本人一人一人が乗り越えてきた心の病を思うとき、平和であるからこそある今回の事件のような被害者の心の病、そしてもっと深刻な殺人者の心の病、豊かになったからこそスポットがあてられ問題化される「病」の姿を、私達日本人は明らかにする事が出来るのでしょうか?