本流と亜流


才能の問題なのでしょうが、私のように人並み以下の資質しか持たない人間には、本流とか正統と思われる手法と素材を使う料理を一つ一つ繰り返し積み重ねていかない事には料理の本質は見えてきません。


よくいう本道を知らない人間にはアレンジも出来ないというヤツです。


愚鈍な料理人なのですから仕方ありません。


たとえば、蕪蒸しひとつとっても、使う素材に工夫をこらして見る前に、具には甘鯛を、蕪は聖護院蕪を、天盛りには山葵をという王道をまじめに繰り返して、その美味しさの極みを知っていたいと思うのです。


アレンジを凝らして、蕪の代わりに蓮根をすりおろしたり、具に他の魚や肉を使ったり、山葵の代わりに生姜やら柚子やら使ったりというふうにしても、本当の美味しさをしらなければ、私の才能では王道を超える一皿にならないです。


アレンジ、亜流、ケレンが本流を超えて新たな王道になるのは本当に難しい事です。才能に溢れた方は簡単にやってのけますが、私には到底無理である事がよくわかっています。


ですから、若いもの達が日々作るお惣菜ひとつとっても、本流と亜流のことを話します。


「チャーハンを作るのに玉ねぎ」ではチャーハンになりません。玉ねぎと白葱では鍋に入れるタイミングも違いますし、出来あがった料理はへんてこな物になります。(本人はそれくらいどっちでもいいジャンと思っていたりします)


「マーボー豆腐に山椒無し」ではお惣菜でも間の抜けた物になるような気がします。(本人は豆板醤の辛さだけでよいと思っています)


その料理の本当の姿を知った上で、さて自分はどうするか?というスタンスをいつも持ちつづけて欲しいと思うのです。


で、
今日、自分の昼ご飯にパスタを作ろうと思いました。


ポロモドールソースを作っている時間が無かった物ですから、熟しきったトマトがたまたまあったことを思い出して、フレッシュトマトのソース(やった事はありませんでした)にしてみようと思いました。


フレッシュトマトであれば、あまり火を入れ過ぎないようにした方がいいだろうと思ったのですが、パスタの茹で時間を見間違えて、トマトをフライパンに投入してから10分近く煮てしまいました。


トマトから水分がでて、あーーーあ、水っぽいソースになってしまったと思いきや、パスタの茹で上がりまで強火でドンドン煮詰めてやると、フレッシュトマトでも味が濃縮されて意外に美味しいソースに仕上がりました。


フレッシュトマトを使ったソースの正しい作り方を知らなくいのにたまたま美味しく出来てしまった。


怪我の功名というのは料理の場合なかなかあるものではありません。


こういう経験をまたひとつ引出しにしまっておけるといいなと思います。