意思の伝達


FAXの具合がおかしくて、頼まれていた原稿をウオーキングがてら歩いて届けてきました。


片道40分、往復一時間半以上のいい運動です。


昔の人々はこうしてお互いの意思を伝達していたのだというのが体でわかります。


別に苦労する必要もないわけで、気まぐれでそうしただけなのですが。


ホンの少々前まで、人はちょっとしたことでも手紙を書いて送り届けていて、歴史をさかのぼる時案外この手紙が残っていて役に立つのだそうです。


その後の電話。FAXだって私からして見ればちょっと前のこと、ポケベルから、携帯電話E-MAILへの移行はあまりにも急速で、地球の歴史を聖書一冊にたとえた時、人間の誕生は最後の1〜2行であるというのに似ています。


人間の意思の伝達は物理的には20世紀後半から21世紀にかけて爆発的な変化を遂げつつあるわけですが、その実質的な内容は荒れた掲示板などを見てわかるように、あくまで人間の愚かさを変らず現しているようです。


人を尋ねた時、「まあお茶でも」と上がっていただくのも、ある程度の距離を歩いて見ると、ありがたい事であるし、ごく自然なお誘いである事も実感できたウオーキングでした。おもてなしの心と言うのはこういう物なのですね。