謝ること、誠意を示すこと


NHK特集で取り上げていた日米の危機管理問題の違い。


フォード エクスプローラーのタイヤバーストによる横転事故がアメリカで頻発したとき、自動車本体のフォードと、タイヤメーカーのファイヤーストーン(日本のブリジストン傘下)の対応差を扱った興味深い特集でした。


事故の原因が特定できない間、米議会の委員会で自社の責任を決して認めないフォード社に対し、事故原因がなんであれ、亡くなった被害者にapologyと言う言葉で謝罪し、販売されたタイヤをすべてリコールしたファイヤーストーン社(日本人会長)。


日本人的には、この謝罪とリコールは誠意を示したことに見え、企業の懐の深さに思えるのに、議会ではこの態度が事故原因がタイヤにあることをすでに認め、事故原因を隠していたと取られて問題にされました。メディアの対応もほぼ、ファイアストーン社に対して否定的であったようです。


アメリカでは日本人的謝罪と誠意は全く意味をなさないもののようです。


えひめ丸事故の事を思います。


日本人被害者の親族にすれば、どう見ても米海軍潜水艦の非があるのに、責任者である艦長がまず直接公式に謝罪し、最高責任者である大統領が出てこないのか?


まず謝る事に誠意を感じる日本人と、謝罪と神に対する懺悔、責任、加害者の権利、などに対するアメリカ人の考え方の違いは明らかにあります。


それを簡単に謝りたがらないとか、自己主張が強いとかいう言葉で簡単にあらわしてしまうのは単純過ぎます。


国民性、民族、宗教、倫理観、人間関係あらゆる物が異なる二国の間で、日本人が正しいとする謝罪と誠意をアメリカ人に直接求めるのは無理かもしれません。被害者に対する謝罪と神に対する懺悔、道徳的罪の意識の比重が日本人とはが違うということもあります。


遺族の方々が求める物を得るには、政治力と外交力、危機管理能力が必要です。


日本政府はほとんどそういう外交能力を駆使しているようには見えませんが、海軍のNO.2が陳謝にきたり、潜水艦艦長が公式ではなく謝ろうとするのはアメリカ政府の危機管理政策によるものかもしれません。日本人が望む物をギリギリの形で示しているのでしょうか。


ワシントンポストが「アメリカはもう充分誤っているではないか」という論調を掲載する事さえ、この危機管理の一環のような気がしてきます。


日本側もアメリカ人の価値観を知る危機管理者を使い、アメリカの世論を操るほどの力をもったメディア操作とができなければ、潜水艦艦長の責任追及はおろか、望む形の謝罪さえ手に入れることはできないと思います。


ここまでくれば、人間と人間の心の問題と言うよりは、相手の国民性を知るかどうかの外交問題、危機管理問題そのもののだと認識しなくてはいけないのではないでしょうか。少なくとも、日本政府はそういうスタンスを持つべきです。


しかし、ことはあくまでアメリカ海軍と政府対個人としての日本人の関係であって、日本政府がどれだけ事の重みを理解しているのか・・・・。


被害者の方々に合掌。