シーザーサラダ


映画「クリムゾン リバー」を見てきました。


映画の前に軽い昼食を取ろうと思って、新しくできたカフェに入りました。


メニューにあるシーザーサラダを注文すると、レタスに生ハムと、乾燥のパルメザンチーズ、シーザーサラダ風ドレッシング(サウザンアイランドの変形のような)が掛かっていていました。


以前にも書きましたが、シーザーサラダはロメインレタスを使うからシーザーサラダです。


ドレッシングはニンニク、アンチョビ、卵黄、レモン、白ワイン、グリエールチーズ、オイルを使って完成します。


生ハムはなくても、カリカリベーコンでOKです。


クルトンはできればタイムの香りをいれたオイルで仕上げるべきです。


となると、シーザーサラダを成すための要素は、それらしい(でも決してそのものではない)既製のドレッシングだけです。


これをシーザーサラダと呼んでいいんだろうか?


たぶん調理しているお姉さんもシーザーサラダを食べたことないんでしょうし、食べてみたいという意志もないんだと思います。


なんて生意気なことをいっても、私自身自分で作ってみて「ああ、これがシーザーサラダか」と納得したのはつい最近のことです。


美味しいものを知りたいという意志を持つかどうかで、味は大きく変わります。


昨日の日記で書いた料理の勉強会で、龍井蝦仁(ロンジンシャーレン ロンジン茶と海老の炒め物)の話が出ました。


龍井蝦仁は中華の名菜の一つなのですが、本来はロンジン茶の新茶のシーズンが川海老の旬と一致するから完成する料理なのだそうです。(普通の海老でいいと思っていました)


小さな川海老を一匹づつ剥いてロンジン茶と炒める、気の遠くなるような手間と原価のかかる料理で、なんとか日本でもこれをやってみたいという尊敬する中華の先輩の話を思うと、先のシーザーサラダとの志の違いに唖然とするようです。


料理に志を持たない料理人と、コストパーフォーマンスだけを求める食べ手が支配するようになれば、本来の一皿の姿はドンドン消えておかしな料理ばかりになっていきます。