修行

先日掲示板に書き込んだ文楽人間国宝のお話しがありました。


82歳にして現役、未だ最高峰の人形遣いと76歳の義太夫語り。


二人とも生涯修行であると言い、義太夫にいたっては50歳にしてやっと声が出来上がるとか。


ことは文楽、経済効率やペイを求めない芸術の世界のお話しですから、すべての修行に当てはめることはできませんが、いわゆる「修行」という言葉でくくられる仕事は、皆「一生涯が追い求めるものであり」「尽きることのない修行」と名人たちはこぞって口をそろえます。


傍から見ればすごい世界だと思い、厳しい世界だと見られます。


しかし、「生涯修行」と口にできる方々の多くは、世間的な評価では一家を成した名人たちであることが多いような気がします。


昨日今日、一年や二年前の入門のひよっこが「生涯修行」といったって重みはありませんし、「お前、生涯やれるのか?」と聞かれてしまいそうです。


芸術の世界の巨匠から見れば、板前の世界など比べるべくもありませんが、やはりこの世界もまずは修行です。


やはり、名人たちは「一生が勉強です」とおっしゃいますが、若い者はそれではたまらない。結果がほしいものです。ある一つの目標とする到達点がなければやってられません。


私のなど若い頃、修行と言われる上下関係が嫌でなりませんでした。


早く、上に上がりたかったし、ずっと怒られつづけるのはたまらんと思っていました。


生涯修行なんてするものか、できるだけ早道で一人前になってやると願ったものです。


で、
ふと気がつくと、初めてこの世界に入門したときの師匠の歳を遥かに越えていました。


一人前などとはとても胸を張って言えないまでも、店を切り盛りして責任はすべて自分にかかるようになってからでもしばらく経ちます。


ある程度の評価をいただけることも出てきて初めて、「一生修行」の言葉が浮かんできました。


やっぱり、どの道も完成とか到達点とかいうところはないものだ、ということが少しだけわかってきました。


名人達から見れば、「お前など一生が三回くらいでやっと一人前だ」と言われそうですが、仕事の面白さがわかってきただけでもめっけもんです。


遅すぎる目覚めですが、若者達よ、そんなもののですよ。あせらずに。