漁港のそば

日曜日の休みでTVで見ていた番組、「漁港の側の美味しい店」といった内容のプログラムでした。


三陸のある漁港の側の食堂の板前さん、取れたてのサンマを塩焼きにしてらっしゃいました。


抜群の鮮度、脂ののり、素晴らしく美味しそうなサンマの塩焼きなのですが、サンマにおどり串を打ち(鮎の塩焼きのような)、ハランを切って会敷きにして、出汁巻き卵のあしらいに、瓶詰めのはじかみ(筆生姜)。


素人が見れば何でも無い、美味しいサンマの一皿なのですが、私が見るとサンマそのものの美味しさ以上に、周りを取り囲む状況が「職人としての板前」の未練をひしひしと感じてしますのです。


ハランも、出汁巻き卵も、瓶詰めのはじかみも、おどり串も何か悲しい。


それでもこの板前さんはそれで自己主張なさっているのだと思います。「俺はこんな仕事で満足はしていない」と。


でも、やっぱり瓶詰めのはじかみは寂しい。


料理は、使う素材が高級だからいい仕事ではありません。


高い値段を取れるからいい店でもありません。


それぞれの店の状況、それぞれの使うべき素材があるはずです。


店を楽しみに来てくださるお客様に、適正な値段の適正な素材を料理するとき、それに見合った美意識が皿に盛り込まれてこそ美味しさは倍増します。


私なら、取れたてのサンマを真っ黒に焦げたくらい焼き目をつけて、たっぷりの大根卸しとかぼすか酢橘、焼きしめた土っぽい器にドンと盛りたいところです。


板前が陥りやすい罠。仕事ができること以上に美意識を磨くことが大事だと私は思っています。