マイルス・デイヴィスⅢ

三度のジャズ話、しかも同じマイルス・デイヴィスです。


前回お話しした(マイルス・デイヴィスⅡ)、プレステッジ マラソンセッションより少々前のこと、マイルスは「バッグス グルーブ」「モダンジャズ ジャイアンツ」の2枚のアルバムを録音しています。


そのうち、1954年12月24日 クリスマス イヴのセッションは「因縁の・・・」と語り継がれていました。


プレステッジのプロデューサー ボブ・ワインストックは名グループ「MJQ」とマイルスのセッションを企画しました。


ところが、ワインストックさん、このMJQのピアニスト ジョン・ルイスのピアノが大嫌いでした。


MJQの音楽はジョン・ルイスが組み立てているというのに、乱暴にもピアニストだけをセロニアス・モンクに変えて録音をしてしまいました。


モンクさんは当時でもかなり異色のピアニストで、ヴォイシングも、初めて聞く人は驚いてしまうほどのかなりはずれたタイム感覚も、「これぞジャズ」といほど自由奔放な方です。


マイルスも作曲家、ピアニストとしてのモンクは大変評価していて、彼の名曲「ラウンド アバウト ミッドナイト」などはマイルスの演奏がワンナンドオンリーといってもでしょう。


が、モンクがバッキング(伴奏)にまわったときというのは、自由奔放な分だけソリストにはやりにくいようで、マイルスは「俺のソロの時はバックで弾くな」とモンクに言ってしまったのだそうです。


ここんところが微妙で、「弾くな!」と言ってしまったのか、「弾かないでいいよ」と優しく言ったのかでニュアンスはえらい違いです。


まっ、ともかく、下世話には「弾くな!」であったと語られていて、モンクさんカチンときてしまったというのです。


その裏話を聞きながらレコードを聴くと、「ザ マン アイ アブ」のテイク2ではモンクさんは確かにマイルスのソロの時には全くピアノを弾かないでいて、いざ自分のピアノソロになると途中でピアノを弾くのを止めてしまいます。(頭にきて・・・だと言われていましたが)


2フレーズ弾いてぴったとピアノの音がなくなること約10小節、ベースとドラムスだけがタイムを刻みます。そこで、マイルスが「オラ オラ どうした、弾かんかい!!」とでも言うようにトランペットを吹き、それに促されるようにモンクが再び弾き始める・・・・
「弾くな!」
「頭きた!」
「じゃ、自分の時も弾かないでいてやる」
「こらこら、弾かんかい!」
「弾いてヤルワイ!」


言われて聞けば、確かにその人間関係図がそのまま演奏に聞こえるような、劇的内容がそこにあってハラハラしてしまうのです。


私が初めてこのレコードを聴いたときには、この逸話がまことしやかに語られ、マイルスファンは皆そうであると信じていたのですが、いまでは伝記などで、そんないざこざはなくて、お互いが尊敬しあっていて、喧嘩などという状況ではなかったようなのです。


一般的に見れば、モンクのようなピアノを伴奏にすると、ジャズ的には大変刺激的で、アグレッシイブなアドリブになりそうな気もしますが、マイルスの場合、この1954〜1956年位の間は自分の確固たるスタイルを確立しつつある時期で、それまでのビイバップの音数の多さを競うような大勢とは違う新しいスタイルを確固たるものにしつつありました。


冷静に考えれば、そんなマイルスのソロにはモンクの伴奏は特にバラードやミディアムテンポについて邪魔になるのも頷けます。


いずれにしても、こういう名盤 名演が裏話と共に語り継がれていたのはジャズならではのこです。半世紀も前の演奏ですが、お奨め一つです。秋の夜長にいかが?