当たり前の仕事

日記へも何度か登場している、ピッツエリアのご夫妻と、親しくお話をさせていただく機会がありました。


どうして、彼の焼くピッツアがうまいのか?という失礼な質問に、


「ボクのところのピッツアが、イタリアで食べられるごくごく当たり前のピッツアなんです。特別なことは何もしていません」と極めて謙虚におっしゃる。


じゃ、じゃあ、奥さまのパンナコッタは?


「あれも、イタリアの普通の家庭で食べられるパンナコッタです」


「苦節何年というピッツアの修行はしていません。ただ、いつもああいう味だけを食べつけていたことが大事かもしれません」


プロ通しのお話としてのノウハウは、たくさん教えていだいたものの、要はピッツアの本来の姿を知っているか、それが身に付いているかが最大の決め手だと感じました。


近隣の、ピッツアを売り物にしている職人さん達は、謙虚に彼のピッツアを食べているだろうか?


イタリアで、当たり前のピッツアをいっぱい食べているだろうか?


アメリカタイプのピッツアが自分の売りだと思っている職人さんは、ホントに自分のピッツアの方がうまいと思っているだろうか?


一生懸命やっている、とか、値段が、とか本物偽物論争の前に、自分が生業としてる仕事が本場の本来の姿と違っているとしたら、私なら考え込んでしまいます。


本来の姿を知っていながら、商売として今売れるものを作ることに専念しているのなら、それはそれでいいでしょう。


外国の料理を作り、お客さまに食べていたくことは本当に難しい。


が、
私は日本人の作る日本人向けと称して、あるべき姿(論争を巻き起こしそうですが)を忘れてしまっている、知らないでいる、もしくは見ないようにしている仕事には興味がありません。


昔、高名なイタリアンのシェフのレシピで、パンナコッタを作り、デザートの一部で使ったことがありました。


が、
このピッツエリアの奥さまのパンナコッタを食べてからは、決してこのデザートに手を出そうとは思いません。恥ずかしくてできません。


職人としての節操がそうさせます。


もっと重要なこと、
仕事の違いが理解できないこと。


味の違いがわからず、原点からの仕事の積み重ね方がわからないこと。


「あのくらいの仕事、材料と、器具があって、高いお金を払ってもらえれば、俺にもできるよ」っていうのはものすごい間違いです。


でも、そういう職人が多いのも事実、私もそうだったかもしれない。