恐怖の館

ウオーキングの途中で、昔通った塾が取り壊され始めているのを見かけて、思わず立ち止まりました。


中学生の頃ですから、ずーーーーと昔々のお話です。


今のような進学塾全盛ではもちろんなくて、個人が営む塾が当たり前の頃、それでもその塾は他を圧倒して高レベルであったようです。


入塾のためには有力なコネクションがあるか、親の面接と学校の成績表が必要でした。


中学一年の入塾時に80人近くが入り、高校までもつのが1/5程度。そのほとんどが一番の進学高校に進学し、その後東大、京大に進学する生徒も毎年当たり前のようにいるという塾です。


私などが通うのは何かの間違いで、後で母に「料理といっしょで、素材が悪ければいいものはできませんって、ハッキリ言われたんだよ、入るときに」いわれるのも当たり前の中学生でしたからついていけるわけありません。


初めて英語に接するというのに、いきなりCOD(英英辞典)、英和辞典、教科書4冊、文法の分厚い本を持たされ、4ヶ月後の夏休みには2年の教科書、中学2年生の時には既に高校の教科書に突き進んでいて、毎日何やっているのか30%も理解できない授業の連続です。


しかもその授業たるや、指されてわからなければ、バカだ、アホだと罵られ、前に立たされてでかい杓文字で二の腕を思い切り叩かれる。さらに学生服の胸におおきく白墨で「T」と書かれ、「お前は低能だ」と蔑まれるというスパルタ式で、出来の悪い生徒には恐怖の館そのものでした。


しかし、恐怖というのは学習の集中には間違いなく有効で、塾では超落ちこぼれの私も、学校の授業はバカみたいに簡単に見えて、予習も復習も、テスト勉強さえしなくてもなんとかなってしまう程度の学力が知らない内に身についていたのです。


それは、塾を辞めた後の高校、大学でも同様で、私が行った程度の学校であれば、塾での2年半が英語の勉強がすべてであったとような気がします。


くれぐれも、誤解のないように付け加えれば、あくまで落第しない程度の学力を身につけることができていただけで、英語の科目が優秀で会ったわけではありません。


いまでも、外国のお客さまが見えるとヨタヨタの英語で接することもあるのですが、もしかすると私の片言英語には、塾の先生の明治大正期の英語の影が、どこかにあるかもしれません。


三つ子の魂百までというのはこういうことを言うのでしょうか。


壊されていく教室を眺めながら感慨に浸っていました。