テレビっ子


テレビを見る時間などとてもない・・・などと公言しながら、実は芸能通だったりする私です。


で、
ナンシー関さんの書いたものが大好きです。


消しゴム版画家にしてTVハードウオッチャー。彼女が芸能人たちの言動、行状を一刀両断のもとに斬りつけるのがおもしろくてなりません。


昨日、ご立派にも若者達が「ださい」「むかつく」などの一言で言葉をいとも簡単に変容させ、省略してしまっていることを嘆いておいきながら、ナンシー関さんが一言でその人物を包括してしまうのを胸がすく思いで眺めます。同じ一言でも恐ろしいほどの違いです。


曰わく、

映画版が「黒木瞳 役所広司」で、テレビ版が「川島なお美 古谷一行」というのは、何やら映画とテレビの質感の違いを絶妙に表しているように思える。ま、映画のことはよくわからないし、映画「失楽園」も見ていないのだが、とりあえずテレビというものの「ミもフタもなさ」だけはここから読みとっても間違いないと思う。


曰わく、河村隆一の発言について、

「僕がサーフィンを始めたのは別にカッコいい理由からじゃないんだ。小学校のころ、ガキ大将だったくせに泳げなくて、それが嫌だったからボードを持ち出して海へ行った。そしたら一回目なのにボードの上に立てたんだ」。カナヅチを克服するつもりが、という点を指して「カッコよくない」としているわけだが、しかし、このエピソードの中にはそれを補って余りある「カッコイイ」ポイント(ガキ大将だった。泳げないというコンプレックスを自ら荒療治で克服しようとする超小学生級の行動力。一回目から立てた天性の能力)が存在する。このワンクッションの置き方。ノーメークに見える念入りなメークという感じだ。


ぼんやりと「こいつ変だな」とか「何かやだな」と思っている芸能ネタを見事に切り裂き、真理を白日のもとにしています。(ちょっと大袈裟か?)


私から見ればワイドショーのコメンテーターなど赤子同然、関様の一言こそ神の御神託のように輝いて見えるのです。


いずれにしても動物園の檻の中を面白がってみているみたいなモンですが。


見ているこちらも同じ動物だったりするのが虚しいけど。