高嶺の花

最上級のものに触れたとき、初めてその道が開かれることがあります。


所属するある会の新年会で見た「舞」
商売柄、お座敷で芸者衆の踊りなど上の空で眺めることはあるものの
日本舞踊に見入ったは初めてでした。
日本人なのに「舞」を知らなかったのです。
20分ほどの「新春の舞」はこれまで見たものとは一線を画す
と言うよりは全く別の物ものでありました。


技術がどうのとか
芸筋がどうのとか
これまでの修練がどうのとか
芸術であるとか道であるとか
賛辞を送るための言葉はいくらでもあるのでしょうが
私が見た「舞」はひたすら美しい美の結晶でありました。


もちろん美しい方が美しく踊れば見惚れるのでしょうが
踊り手の美しさにだけでも踊りそのものの美しさだけでもない
彼女が舞う空間と時間そのものが美に昇華してしまうような至福の時が存在したのです。


短い時間の中で
全くの素人の私が「舞」のなかに聖女と童女を明らかに見ました。
昔、野村万作の仕草に
まったく能狂言を知らない外国人が「羊」を見た。という話を聞いたことがあります。
よく見れば表情さえほとんど変わらないのに、二つもしくは三つの人格を
舞の中に感じられるのはどうしたことか
これが「芸」なのか?


そんなことはどうでも良いことです。


極まった美の瞬間がそこにあって浸っていられる。
それだけでいいのです。
解釈や批評などは必要のない次元の違う幸福な瞬間
今まで知らなかった新たな美を見せつけてたのは
「水木由歌」さんという舞踊家です。
彼女は私のあこがれの高嶺の花となりました。