秋吉敏子さん


BS2で秋吉敏子さんを取り上げた番組をやっていました。
ジャズファンじゃなくても、名前をご存じの方は多いと思います。


ニューヨーク在住のミュージシャン
自己のビックバンドを中心に演奏活動を繰り広げています。


間違いなくジャズでは唯一世界に通用する日本人です。
と言うより
日本人が誇るべきジャズミュージシャンであるだけでなく
日本人としてのアイデンティティーを見事にジャズに表現して認められた稀有の人です。


渡辺貞夫 日野皓正 菊池雅章
多くの優秀なミュージシャンがアメリカに渡り、演奏をし、アルバムを出しています。

秋吉さんのように成功を収めたミュージシャンは
彼女が最初で、未だそれを越えた日本人は出現してはいません。
クラシック畑を含めても小沢征爾がいるくらいでしょうか。


20年近く前、幸運にも
秋吉さんのビックバンドのリハーサルを垣間見る機会がありました。
L.A.で
秋吉さんの日本での生徒の一人、編曲家の北川さんに連れられてです。
記念碑的アルバム「孤軍」に続いて
「ロング イエローロード」を出した直後、
スタジオで間近に見るスーパー ビックバンドのサウンドは震えるほどすばらしく、
ご主人のルー タバキンのフルートの音色など打ちのめされるほど強力でした。


この時にも感じました
秋吉さんの成功はご主人のルー タバキンなくしてはなかったと。
タバキンさんは音楽的にもこのビックバンドのスタープレーヤーであります。
テナーサックスフォンにおいても
ベン ウェブスター、 ソニー ロリンズと続く正統派ハードブローの第一人者。
フルートでは類を見ないパワーと音色を持つこの道の最高峰です。
それだけでなく
スタジオミュージシャンとしての彼の実力と人脈は
夫婦の安定した収入と
ビックバンド結成のためのメンバー選別に
大きな力を発揮したことを容易に想像できます。


秋吉さんのビックバンドによる楽曲は経営上成り立つ性質のものではありません。
秋吉さんが食べるための曲作りをしなくて良かったのは
タバキンさんのバックアップに負うところ大だったはずです。
夫婦の弛まぬ創造と努力があって
秋吉さんの音楽のみを演奏するビックバンドは完成されました。


デューク エリントン楽団
カウント ベーシー楽団
サド ジョーンズ〜メル ルイス楽団なき後
ビックバンドの最高峰が小柄な日本人女性の手によるものなのです。


松田聖子 ドリカムのアメリカ進出の失敗
宇多田ヒカルのもしかするとのアメリカデビュー
売れること=成功
の図式だけでは
私たちが誇れる日本の音楽の世界進出にはなりません。
というより
たとえ一発当てたことがあるとしても、かなり恥ずかしいことになりそうです。
アメリカ進出を企てる輩は先達秋吉敏子さんの足跡を知るべきです。


秋吉敏子さん
70歳
まだ、創造意欲が衰える気配は微塵もありません。