「お店」 工業製品か手仕事か


日本酒は工業製品なのでしょうか? 手仕事なのでしょうか?


日本酒好きは「工業製品なんてけしからん。あくまで手仕事であるべきだ」と違いなくいうでしょう。


そもそも工業製品と手仕事の線引きはどこにあるのでしょう?


機械化された工場で、杜氏の経験値を数値化しコンピュータ管理で大量の製品を作ることを可能にした蔵なのか?すべてを人間の感覚と昔からの器具で造る蔵なのか?


人の力仕事を軽減するための機械を導入することは作業をスムースにする一方、酵母という生き物を管理する感覚をはたしてどこまで機械に頼ることができるのか?


疑問符ばかりが続きましたが、工業製品と手仕事の境目は微妙なのです。


酒好きが感覚で、あの酒は手仕事だと思っていた蔵が案外巨大で、マーケッティングの力で美味くイメージを作り上げているケースがある一方で、短期間で規模を大きくし、機械化を進めたことを公言したのに実際には結構手仕事の部分を残しているのだと聞く蔵もあります。


素人にとっては味だけを見て工業製品か否かを味わい分けるのは難しいのです。


で、
お話は日本酒 獺祭(だっさい)です。


近頃、販路をさらに広げ海外進出も本格的に視野に入れているのか、メディア露出がふたたび増えてきました。


2010年を超えた頃だったでしょうか、旭酒造(獺祭)の経営スタンスは明らかに変わりました。


五階建ての蔵を建設し、「杜氏の感に頼らず、その経験値を数値化して安定した日本酒作りを目指す」 メディアによく登場し、プロデューサーの匂いを感じました。


日本酒マニアには聞き捨てならない台詞だったかもしれません。杜氏の豊富な経験こそが美味い日本酒を造るのだという職人教条主義者が多い日本酒好きの間では問題発言といってもいいものだったのかもしれません。


しかしながら、2000年頃から続々と現れ始めた代替わりで革新した蔵の多くは、醸造学を学び日本酒をデータでもとらえることができる、30−40代の若者が牽引しました。


それらの若者は20年30年の経験値をもっていたわけではなく、時代は長い時間の経験だけで日本酒を造るのではなくなりつつあるのかもしれません。


日本酒の世界は酵母の働きの分野でも、酒米の育成の分野でも科学的な裏付けをもとに飛躍的な伸びがあった時代でもあります。





さて、
そうやって話題になった獺祭は一時入手が難しいなどといわれながらも、順調に売上を伸ばし、2013年には37億円。その四年後の2016年には108億円の売上を記録したそうです。(経常利益でも8倍近い伸びだとか)


日本酒蔵がこれほどの伸び経験したのは昭和40年代の造れば売れる時代を除いてはありえません。


造っても売れない時代にこの急成長は経営的に見て奇跡に近いといえます。


小規模でも真面目にいいものを造ることが脚光を浴びがちな時代、日本酒など手仕事が重要であると思われる業界では経営的な成長は手放しで賞賛を浴びにくいかもしれませんが、私はこの成長に大きな拍手を送りたいと思います。


ある程度以上の品質を保ちながら大きな成長を遂げたことは、日本酒の間口を広げることに貢献したはずです。


何より、企業として「儲けること」「成長すること」「存続すること」ほど大切ことはありません。志だけ高くても食べていけないのでは存在意味がないのです。





私自身は獺祭が二割三分を世に出した初年度からこのお酒を飲んでいますが、切れ味だけだったお酒に味の奥行きが出てきている今の獺祭を日本酒の品質的に十分に評価してはいますが、必ず店のラインアップに載せたいお酒というほどでもありません。


私ン処のように小さな店では、料理の食材も、日本酒も、料理そのものも作り手の顔が見えることを一番大切にしたいと思っています。蔵元の顔、杜氏の顔がメディアを通じてではなく、酒質に表れて愛おしいと思えるお酒だけで仕事をしたいのですね。


ですから、獺祭の挑戦の姿をじっくり眺めつつ、日本酒ひいては日本の食がさらに充実したモノになることを願いながら、獺祭とは別の方向から取り組んでいきたいのです。